「復活の主日・復活の聖なる徹夜祭」(B年)説教
2015年4月5日・加藤 英雄師


 

  ご復活おめでとうございます。イエスが復活された。イエスに神様の力を見た。
イエスはわたしたちに新しい、いのち、復活の道を歩くよう呼ばれている。イエスによって復活のいのちに入る。イエスの復活を信じるわたしたちは今、復活の道を歩んでいるのです。
天の国にいるわたしたちの父さん、母さん、兄弟と一緒に、今日のこの日を祝いたいと思います。

イエスはエルサレムに向かう道を歩いています。エルサレムに行こう。その日、弟子たちは喜んだ。イエスと一緒に歩いてきた人々も大いに喜んだ。エルサレムに入城する。万軍の主に守られながら、イエスがエルサレムの王になる。 エルサレムに入った。信仰の都エルサレムの神殿に入る。父の家、神の家の清さに入る。イエスがそこで見たものは商売の家。父の家は祈りの家ではなかったのか。新しい神殿を造る。生きる神様と出会う神殿を造る。

イエスは言われました。わたしは受けなければならない洗礼がある。ゲッセマネで祈りました。父から杯を示されました。その杯を飲むことは出来ません。あまりに重い、あまりに厳しい。父は言われました。あなたはわたしの子。わたしに従順でありなさい。わたしの思いのうちに、わたしの言葉に従いなさい。み心のままに歩みます。
イエスは言われます。わたしが来たのは地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。

エルサレムへの入城。イエスが王様になる。 あなた方は何もわかっていない。何を願っているのか。エルサレムでの栄光はわたしが洗礼を受ける事なのだ。このわたしが受ける洗礼を受けることが出来るか。わたしのエルサレム入城はわたしの洗礼の日なのだ。

あなた方はわたしが受ける洗礼を勘違いしている。
洗礼:言葉と水で清められる。原罪から解放される。神の子となる。清められ白い衣を着る者となる、光の子となる。洗礼は喜びの時、新し生活の出発、善いものに向かって歩む出発。
 エルサレムはわたしの洗礼によって清められるのです。 エルサレムのこの神殿は祈りの家か?神様は会堂に閉じ籠っていない。聖書に閉じ籠っていない。自分の世界の祈りに閉じ籠っていない。洗礼は神の国への出発。生きている神様に出会わなければ洗礼ではない。洗礼の場がない、洗礼の水がない、洗礼の光がない。
 燃えなさい。信仰に燃えなさい。神様に向かって燃えなさい。 今あなたを縛っている束縛から脱け出しなさい。自分の見ている自分から抜け出しなさい。社会から脱け出しなさい。今生きている自分のいのちを見つめなさい。いのちの尊さ、大切さを知るために、今の自分のいのちを燃やすのです。いのちの尊さを知るのです。 洗礼の時、いのちを失った。新しい命に入った。

洗礼はいのちの尊さを知ることです。自分のいのちは、神様からの支えによって、自然の支えによって、人々の支えによって生きるものとなっています。

イエスは言われます。自分の生涯は、人に生きる喜びを与えることです。神様の恵みはいのちの喜びです。人々に語りました。悪霊を追い出しました。死んだ命を引き戻しました。 人々はそれを見ました。しかし、人々は燃えませんでした。わたしは火を投ずるために来たのです。

そして、エルサレムでの洗礼の時が始まりました。受難、十字架、死です。
洗礼によって、十字架の死によって、新しいいのちが始まった。死を超えるいのちがある。支え合いながら人々と共にいのちを喜ぶ。 木が生きている、花が生きている、桜が生きている、咲いている。わたしたちは笑顔でこの祝いを祝っている。喜びの時。

       ご復活おめでとうございます。


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