「復活の主日・に中のミサ」(B年)説教
2015年4月5日・加藤 英雄師


 

 [Ps.139-18,5-6cf]
  「わたしは死者の中から立ち上がり、神と共に生きる。神の手はわたしの上にあり、そのはからいは神秘に満ちている。アレルヤ。」  
イエスは神の内にある方。いや、イエスは人です。それと同時に神様です。わたしたちの信仰はそう宣言します。わたしはそれを信じます。イエスは死んだ。そして、イエスは新しい命に生きていると姿を現された。イエスの復活のいのちを信じます。神様の内にあるいのちに生きている。神様は「ご自分の在り方であるもの」を人として人の世に送られた。その方、イエスの手に神様の力がある。イエスは神様を語る。イエスは神様の業を行う。イエスの姿は神様の姿。神秘の姿。

[Act10・34a、37-43]
ペトロは神妙に語ります。わたしたちはイエスという方と出会いました。イエスの姿に神様の力を見ました。イエスと一緒の歩きたい。イエスに従いました。そして、イエスの証人として今、語っています。イエスは真の神を語りました。神様のみ心を行いました。病を癒された。悪霊を追い出された。悪魔に苦められている人をすべて癒された。神様がイエスと一緒におられたのです。 人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神様はこのイエスを復活させられました。 わたしたちはイエスの証人です。イエスが神様である証人です。

[コロサイ3・1-4]
 イエスの復活を知った。死んでも生きるいのちを知った。それを信じます。信じたその時に、新しい命が始まっている。いのちへの道が始まったのです。 今、神様を見つめなさい。神様から与えらえた目で神様を見つめる。神様の心を聞きなさい。神様から与えられた耳で聞きます。神様から与えられた口で語ります。地上のものから脱出する。自分の中に巣食っている自分を大切にする心から脱出するのです。

[ヨハネ20・1-9]
 日曜日、マグダラのマリアは墓に行った。イエスの体が墓に置かれていない。イエスがいない。どこにおられるのか分からない。不安に心が騒ぐ。弟子たちのところに急いで、行って告げた。ペトロとヨハネが墓に急いで行く。ヨハネが速く走って先につく。墓を覗くと、亜麻布が置いてあった。ペトロが着いた。墓の中に入る。ヨハネが続いて入る。イエスの体が墓の中にないと知った。
イエスはこの出来事を見ている。そして、弟子たちの集まりの時、姿を現す。「平和があるように。」あなた方の前に語るわたしを見なさい。そして、死を超えるいのちに生きているわたしを信じなさい。


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