「復活節第2主日」(B年)説教
2015年4月12日・加藤 英雄師


 

  先週の日曜日、4月5日、わたしたちは主の復活を祝いました。
死んだ主が現れた。新しい命に生きている。死んでも生きるいのちを信じる。神様が死んだ主にいのちを注がれた。わたしたちはすごい事を信じているのです。

  今日、神様は聖書を通して①神を信じなさい、②イエスを信じなさいと言われているのです。 いや、初めに、神様を信じるとは何かを考えます。
わたしたちは神様から生まれました。神様がわたしたち一人一人にいのちを注がれ、生きるものとして、この世に送られました。わたしたちは一人一人神様の愛のうちに生まれたのです。
そして今、神様の愛のうちに生きている。 神様は人が必要としているものを与えてくださっている。神様は自然を造られた。自然が生きている。自然の生きるいのちは人のためのものと思ってしまう。自然の中にいる人は、自然に生きるいのちを感じ、世界は生きていると叫ぶ。自然から、人は自分たちに必要なものを取る。加工して使う。自然の中に食べ物を得る。これが労働です。

わたしたちは今生きている。神様の造られた世界の中に生きている。神様に愛されて生きている。神様を信じるとは、神様に愛されていることを知ったからです。神様を信じるとは、神様に感謝することです。
信じるとはつながりです。わたしたちは神様と深く、深くつながっている。神様に感謝する。
神様に何かをしたい。ありがとうの思いを示したい。
神様は言われるのです。自然のために働きなさい。そして、人は人の為に働きなさい。
それがわたしへの感謝の心です。人は自然とつながっている。人は人とつながっている。
人は自然に支えられている。人は人に支えられている。
神様を信じているとは、いのちを感謝していること。自然のため、人の為に働いていることです。
イエスを信じなさい。 イエスに出会った。イエスの語る話を聞いた。イエスのなさる業を見た。
そして、イエスの心を感じた。イエスの中に神様がいる。イエスにいのちの貴さを見た。愛の大切さを見た。イエスこそキリスト。そして、わたしたちはイエスは神から生まれたと宣言するのです。神様を愛するとは、神様のみ心を知り、神様の思いのうちに生きることです。
神様の思いはこの世に打ち勝つことです。わたしたちはイエスの姿を見ました。神様のうちに生きるイエスの姿を見ました。イエスの生活は、この世にあってこの世に属していない。いのちをかけて神様を愛されました。いのちをかけてわたしたちに愛を示されました。イエスは神様のみ心を持ってこの世に来られたのです。
神様を信じます。イエスを信じます。
信じる。今日の福音を読みます。信じることが出来る自分を造りたいと思います。
  最後の晩餐の席で、ペトロは言います。たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。イエスが捕えられ、大祭司の館に連れて行かれた。
ペトロがその館にいた。周りの人たちが言う。お前はあの者の仲間だ。確かにお前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。ペトロは言う。あんな者は知らない。あんな者は神に呪われて死ね ばいい。
イエスが十字架にかかる。その時、ヨハネを除いて、弟子たちは皆逃げてしまった。
イエスは十字架の上で殺された。イエスは死んだ。しかし、イエスは弟子たちの集まりに現れた。「あなた方に平和があるように。」 イエスから逃げた弟子たちはイエスに包まれていることを知った。イエスの愛のうちにいることを知った。そして、その時、イエスに死を超えるいのちがあることを見た、知った。イエスに神を見た。  イエスこそ、わが主、わが神。
イエスを信じる。イエスの姿を見つめる。イエスの示された道を歩む。
信じるとは、その人に、その出来事に心と体をゆだねることが出来る。その人の歩まれた道を歩む決心である。その事のために自分の命をかけることが出来る。その出来事に自分のものをすべて与えることが出来る。

信じる者となりなさい。祈り、聖書のうちに入り、自然に出会い、人に出会い、愛を行うことが出来ますように。


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