「復活節第3主日」(B年)説教
2015年4月19日・加藤 英雄師


 

[使徒言行録3・13-15,17-19]
 神様がわたしたちを導かれた。大きな力を持ってアブラハム、イサク、ヤコブの族長を導かれた。それは昔の伝承として受け継いだり、思い返す出来事として終わるのではない。今も、神様はわたしたちを導いておられる―それを忘れてはいけない。神様はわたしたちの主イエスに大きな、まことに大きな栄光を与えられた。イエスの出来事はアブラハム、イサク、ヤコブの出来事を上回る出来事です。イエスはわたしたちを神様の命へと導かれようとしておられました。新しい世界への出発です。わたしたちが神様のいのちへと生まれ変わる時、新しい世界を知るのです。
イスラエルを支配している力がイエスを殺してしまいました。しかし、わたしたちはイエスに、この世を超えるいのちを見たのです。死者の中から脱出し、新しいいのちに生きておられるイエスと会ったのです。 わたしたちはイエスの出来事の証人です。新しいのちに生きておられるイエスと会った証人です。 力のある人たちは、その人たちについて行く人たちはイエスを知らなかった。
イエスを苦しめ、殺してしまった。 今、イエスを見つめ自分たちの罪、恐ろしいほどの大きな罪を思うのです。今まで、自分たちは何を見ていたか、何を求めて生きて来たかを、もう一度思い巡らします。 悔い改めて立ち帰ります。

[1ヨハネ 2・1-5a]
イエスの受難、十字架を知ってほしい。それ以前にイエスの毎日の生活を知ってほしい。町で多くの人と出会う。一人一人と語り合う。そして、その人の心に光を灯す。悲しみを受け取る者になっている。苦しんでいる人の力となる。いつも神様の大きい慰めを注ぐ。緩やかに包み込む。
その人、イエスに出会った人は罪を犯すことが出来るだろうか。イエスはすべての人の罪を償ういけにえとなりました。 イエスの語った言葉に耳を傾けます。一番大切な掟は何かと問うた律法学者にイエスは答えられます。「あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。」神様の言葉を守るならば、まことにその人の内には神様の愛が実現しています。

[ルカ24・35-48]
  エルサレムからエマオへ歩いていた二人の弟子はエルサレムに戻った。イエスに出会ったという。その人は食事のときパンを裂かれた。その時、その人がイエスだと分かった。歩きながら、その人と道で話したことはすべて、イエスのみ心であったと知るのです。 わたしたちはイエスに出会った。その体験を証言しているのです。 主は生きておられると話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち「あなた方に平和があるように」と言われた。わたしが今生きていることをなぜ疑うのか。わたしの体を見なさい。わたしの手、足を見なさい。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、わたしにはそれがある。イエスはそこで焼いた魚を一切れもらい、みんなの前でそれを食べた。  わたしの出来事は神様の出来事である。聖書の中の神様のみ心を信じなさい。神様のみ心が今も働いていると信じなさい。 罪の悔い改めがその名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。 あなた方はこれらの証人となるのです。

わたしたちは神様の出来事の証人です。神様が語られたことが真実である、神様の行われたこと、奇跡が本当のことである。旧約聖書、新約聖書を読んでいて、それだけのことが真実である、と受け入れることが出来るでしょうか。


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