「復活節第5主日」(B年)説教
2015年5月3日・加藤 英雄師


 

  わたしたちは天の国に向かって歩いています。イエスの姿のうちに、自分の歩く道を歩む。隣人と一緒に歩む。生きるとは愛すること。愛は一緒に生きることです。愛は与えること。隣人のために働くことです。今日、イエスはわたしたちに言われます。わたしはぶどうの木、わたしの父は農夫である。また、天の国はぶどう園だと思います。実りを求める。多くの人に与えることが出来るよう、多くの実を求める。和やかに働く。喜んで働く。

愛する。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう。 力のある人がその能力によって報酬を受けるのは当然ではないですかと思ってしまう。それでは、力のない者、体が不自由な者たちは生きることが出来ないのですか。
サウロ、あなたはイスラエルのもとに集まらないものは神様に出会えないと確信していた。神様からの律法に従うのはわたしたちの信仰生活だとしている。キリストの集団は律法の上に神様の愛があるという。律法を壊そうとしている。あの集団は壊さなければならない。捕えなければならない、殺さなければならない。主イエスは天からサウロに声をかけられた。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」「主よ、あなたはどなたですか」「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」
サウロは愛を知ったのです。互いに愛し合いなさい。愛することが神様の心、愛の心が律法だと知ったのです。
わたしはぶどうの木。わたしにつながっていなさい。わたしに心の扉を十分に開き、わたしの思い、言葉―わたしの光を受け入れなさい。あなたの思い、行いがわたしの実を結んでいる。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが出来ないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことが出来ない。 わたしにつながっていない人は、投げ捨てられ、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
人は自然の支配者の役割を与えられました。人は自然とつながっている。人は人とつながっている。支配とは王様になることです。王は仕えられるためではなく、仕えるための力です。自然のために働きなさい。人のために働きなさい。
人は神様から造られた神様の道具です。神様は言われるのです。人は自然に支えられて生きている、自然のために働きなさい。人は人に支えられて生きている、人のために働きなさい。
わたしの言葉が、わたしの思いがあなた方の内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。かなえられる。
ぶどう園で働く者となりなさい。隣人のために働く。隣人のために祈る。隣人が生きる喜びを喜ぶ。隣人の悲しみを悲しむ、隣人の苦しみを苦しむことが出来ますように。


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