「年間第13主日」(B年)説教
2015年6月28日・加藤 英雄師


 

   わたしたちは神様の命を注がれて、この世に生まれ、今、生きている。神様は人を生かすためにお造りになった。人は神様の命のうちに生きる、命のうちに神様とつながっている。人は、すべての人は価値がある。神様は父さん。神様の、父さんの思いを聞く。父さんの教えに従う。知恵の書は言います。神様は人を、ご自分の本姓の似姿として造られた。あぁ、そうか。神様の姿、イエスの姿を思ってみます。イエスの歩かれた道、人と出会い、心の言葉をかけられる。その人を包みながら、その人の病を癒す…イエスこそわたしたちが求める生き方ではないか。神の姿に似たものとなる、一つでもイエスに似ることが出来ればいい。
イエスは舟に乗って向こう岸に渡られた。舟は教会です。わたしたちは舟に乗って、イエスと共に、進んで行く。向こう岸、新しい社会の出来事に出会うのです。
ヤイロという名の人がイエスを見つけました。イエスのところへ走り寄り、足元にひれ伏してしきりに願います。
「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。娘を助けてください。生きる力を与えてください。」ヤイロは会堂長、社会的にも人望がある人である。その人物がなりふり構わず、イエスを見つけ、イエスの足元にひれ伏した。ヤイロがいかに自分の娘を愛していたか、娘の病気に心を砕いていたかを見るのです。イエスはヤイロと一緒に出掛けて行くのです。
歩いている途中、イエスが群衆の中で、叫ぶ。わたしに触れたのは誰か。イエスは周りを見る。婦人が進み出た。婦人が自分の病気を語った。全財産を病気のために使った。治らない。イエス様、あなたの名を聞いたのです。あなたへの思いがわたしの心の中に入って来ました。イエスを信じる。そして、イエス様、あなたに触れました。体に力が注がれ、体が温まり、出血が止まりました。イエスは言われました。娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
ヤイロはこの出来事を見た。すると会堂長の家から人が来て言う。「お嬢さんは亡くなりました。」
ヤイロは動揺した。イエスはヤイロを見つめて言われた。「恐れることはない、ただ信じなさい。」 あなたは医者に見捨てられた婦人を見た。人々に見捨てられた婦人を見た。婦人は神様の憐みを信じたのです。わたしを信じた。わたしを通して働く神様の力を信じたのです。ヤイロ、ただ信じなさい。 会堂長の家に着いた。人々が大声で泣きわめき、騒いでいる。悲しみ泣き叫ぶ人たちが来ていたのです。(そのように雇われているのです。)イエスは家の中に入られて言う、「なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 この人は何を言っているのか。人々はイエスをあざ笑った。イエスは家にいた人々を外に出した。イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、子供の所へ入って行かれる。そこが祈りの場となった。 イエスは子供の手を取って言われる。「タリタ、クム。」 子供はすぐに起き上がり、歩き始めた。

それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。ヤイロは、イエスのうちに神様のいのちが働かれているのを信じた。
子供は起き上がった。神様から命が与えられたのですよ。感謝のうちに歩きなさい。神様がわたしに心を留めてくださっている。目をとめてくださっている。神様のみ心を感謝します。神様を知らなかった。神様を信じます。
神様を信じます。信じるとは…祈ることです。神様を見つめることです。清い生活を送ることです。正しい、善い行いをすることです。愛を以って人と接することです。今日、あなたは神の似姿として造られているのですと言われました。忘れていました。自分の行いを糺す、神の子となる生活を送る以上に、わたしたちは神の似姿として造られている、神の姿のうちに入りなさいといわれているように思うのです。自分を捨てなさい。自分の衣服を脱ぎ捨てなさい。体を装う化粧をやめなさい。
父さん、イエス様、あなたの中に入れるように、見つめます。隣人に与え続けます。


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