「年間第15主日」(B年)説教
2015年7月12日・加藤 英雄師


 

   アモスは北イスラエルの都べテルで神様のみ心を語ります。このままではこの国は滅びる。この国は豊かな国、豊かさを楽しんでいる。しかし、その豊かさ、富は一部の人たちが独占している。
この国の預言者アマツヤはアモスに言います。ここべテルで預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿である。南ユダの国に行って預言せよ。アマツヤは預言者、わたしは第一に王のため、王国の安定のために預言するのです。アモスは主からの言葉をそのまま語っているのです。北イスラエルの真の導き手は主にある。
預言者の言葉を聞く。神様のみ心を聞く。祈る、聖書を読む。イエスに耳を傾ける。イエスを見つめる。

  イエスは12人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を与えられた。 神様を語りなさい。神の国が近づいている。悔い改めを求めるのです。出会った人に語る者となりなさい。そして、その人の心に耳を傾けなさい。語るとは相手の人が語りやすくするためなのです。その人と、その人たちと神様のみ心でつながりなさい。
アモスの出来事、イエスの弟子たちを宣教に遣わす出来事はその時代に起こったことです。そして、イエスは今日、今、わたしたちにあなたはわたしに従って歩んでいますかと問われているのです。 わたしたちは洗礼を受けてイエスに従う者となったのではないですか。アッバ、父よと祈りなさい。父さん、僕の祈りを聞いてくれよと祈るのです。  
洗礼のことをもう一度言います。洗礼は体と心を包む神様の力です。洗礼は神の国への出発の時です。洗礼は神様の道を歩むことです。預言職、祭司職、王職の道が与えられているのではないですか。
イスラエル、この国はこのままでは滅んでしまう。神様が死んでいる。神様から離れて祈っている。典礼のうちに神様が見えない。 悔い改めなさい。悔い改めなければ神の国は見えない。いや、神様が見えない。人々はイエスが来たと知ると、イエスのもとに集まりました。イエスと出会う。イエスの話を聞く事が出来る。病が癒される。わたしたちは違います。イエスと共に歩いているのです。神様の命が消えて行く。神様の光が消えて行く。物の世界に住んでいる。楽しみで、欲で自分のものを持つようになっている。華やかな自分を求めている。生きる:自分が生きるのではないよ。生きるとは隣人が生きる。生きるとは、生きたい、生きることが出来ない人が生きることが出来た、その喜びを味わうことではないか。みんなが生きる。生き生きと生きる。
宣教に出かけなさい。イエスはわたしたちに言われているのです。 本当の仕事という話があります。  イギリスの青年の話です。学生です。学校で倫理、宗教の時間がある。神父さんが言います。キリスト教は命を大切にする事を教えている。イギリスは世界に力を持った。その使命の一端を背負っているのではないか。生きる、隣人が生きる。わたしたちの周りには助けを求めている人がどんなに多いか考えなければいけない。そして、わたしたちはその社会で、今いるこの社会で何をなすべきかを考えるのです。青年はインドのことを聞いた。コルカタ(カルカッタ)では人が道端で命が終わるの待っているといことを聞いた。貧しさを聞いた。心が燃えた。青年はインドに行こうと決めた。アルバイトをした、お金を貯めた。そして、ついにインドに着いた。コルコタでホテルをとった。そして、夕暮れ時、青年は町を歩いた。貧しい。汚れている。帰り道、青年は少女に声をかけられた。お金を少しくれませんか。青年は少女を見た。今は冬。少女は夏の洋服で震えているように見えた。寒くはないのですか。ええ、少し。でも、この服しかないのです。お金は少ししかないけれど…。あなたの一番の夢は何ですか。わたしの夢は、一度でもいいから、父さん、母さん、兄弟みんなと一緒に、明るいところで、笑いながらご飯が食べたい。
青年はホテルに帰った。晩の祈り、寝る前の祈りが出来ない。ベッドの中で青年は神様に言った。なぜこんなことがあるのですか。あなたは人に平安を与える方ではないのですか。生きるいのちを大切にするお方ではないのですか。あなたは何もなさっておられない。 青年は眠りについた。真夜中、青年を呼ぶ声が聞こえた。静かな声が心に響いた。ジョン、ジョン。あなたはわたしに何もしていないと言ったね。わたは大切な事をしたよ。わたしはお前を造った。
宣教とは自分のあり方ではないですか。父さん、わたしに人を支える心、力を与えてください。


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