「年間第16主日」(B年)説教
2015年7月19日・加藤 英雄師


 

    わたしたちは羊です。神様の牧場にいる羊です。 わたしたちは求めていました。自分が社会生活の中で生きるために何が必要か。少なくとも人に負けてはいけない。何を着るか、何を食べるか、どんな仕事につくか。自分と気の合う人と友になり、気を使う人とは距離を置く。会社の上司を見る。社会の指導者を見る。皆、自分の思いのまま、身内の利益のために働いているのではないか。家族のため、会社のため、日本のため。自分を守る、自分たちを守る。その中に自分がいる。求めている。自分の利益を求める。自分の平安を求める。自分の煩いは当たり前だ、自分のために煩っているのだ。 
今まで見えなかった。自分の前に舟があった。船頭はイエス。イエスを見た。イエスは静かに声をかけられた。わたしたちは羊です。養われている羊です。いのちを与えられている。心が与えられている。体を与えられている。あなたを導く人は、わたしたちを導く人は自分の得を求めるものであってはいけない。
わたしたちは王職という役割を与えられているのです。あなたが王になりなさい。羊を飼う牧者となる。王は与えられた人々を包む。神様から与えられている目で見る、耳で聞く、心を受け取るのです。王となるとは偉くなることですか? いや、人の為に働くのが王です。出会う人が生活の喜び味わうために静かに働くのが王です。 ちょっと大切な事を言い忘れました。王になるあなたは、王になるわたしたちは支えられています。神様に支えられている。自然に支えられている。人に支えられているのです。 ひたすらいのちのために働きます。人の為に働きます。王となります。
イエスは12人を呼び寄せ、2人ずつ組にして遣わすこととされた。12人は出かけて行って、悔い改めさせるために語った。多くの悪霊を追い出し、油を塗って病人を癒した。12使徒たちは宣教の旅を終え、イエスのところに集まった。自分たちの行ったこと、教えたことを語った。イエスは言う、休みに行きなさい。人と会わず、自然に身を委ねて、神様と出会いなさい。全く一人になるのです。
神様のうちに入り、風呂に入るように、心と体を清くするのです。 働くとは自分を与えることです。休むとは自分が満たされることです。 人々は彼らが出かけるのを知り、一斉に駆けつけ、彼らより先に、その場所についた。自分の求めているものを得たい。皆、一人一人が自分の求めているものを得たいと一生懸命求めている。イエスは大勢の群衆を見ている。あぁ、求めている者の集まりだ。イエスは語り、教え始められた。人に求めるのではない。神様に求めなさい。自分を見つめなさい。神様を見つめなさい。
自分の信仰の道を思います。
今、何を求めているか。
何のために働いているか。
隣人が見えるか。
王となり、隣人のために働いて行きたいと思います。


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