「年間第18主日」(B年)説教
2015年8月2日・加藤 英雄師


 

  イエスを求めて集まっている群衆は空腹だった。食べ物のない群衆にイエスはパンを与えられた。欲しいだけ与えられた。群衆はパンを腹いっぱい食べることが出来た。イスラエルの人々はイエスの力を見た。翌日、そこに集まった群衆はイエスも弟子たちもそこにいないと知ると、イエスを探し求め、イエスを見つけた。

イエスは人々に言われた。あなた方がわたしを捜しているのは、わたしに神の姿を見たからではなく、パンを食べ満腹したからではないですか。

イスラエルは誇りを持っている。神様がわたしたちを選ばれた。わたしたちは神様の祝福のうちにいる。神様の愛のうちに生きている。モーセがイスラエルをエジプトから導き出した。奴隷から自由へと解放した。神様がイスラエルを導かれている。神様の示された土地へ向かって歩んで行く。エジプトから出発して2か月たった。食べる物がない、飲み物がない。人々は叫んだ。神よ、あなたによって生きるものとなるのではなかったのですか。わたしたちはこの荒れ野で飢え死にしそうです。エジプトで主の手にかかって、死んだ方がましだった。あの時は、肉の入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられた。

主は言われた。肉を与えよう。パンを与えよう。飢えは苦しい事、渇くことも苦しい事である。
体のうちに生きる喜びを知る。体のうちに自由、平安を知る、愛、希望を持つ。
朝に露が降りた。薄く、壊れやすいものが、大地に霜のように薄く残った。荒れ野の地表を覆った。蜜の入ったウェファースのような食べ物であった。これをわたしたちはマナと呼んでいます。これは何という意味だそうです。蜜の入ったウェファースを食べなさい。これは神様から与えられたパンです。 神様の恵みを今受けている。これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

イエスは人々に言われる。満腹するために食べるパンではなく、いつまでもなくならない永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。そのパンを食べなさい。 そのパンを得るために働きたい。神様のみ心にかなう業を行うために何をしたらよいのでしょうか。神様のお遣わしになった方を信じること。それが神様のみ心に適う業です。
モーセは天からのパンを先祖に与えてくださいました。あなたは何を与えてくださいますか。
モーセが天からのパンを与えたのではなく、わたしの天の父がまことのパンをお与えになる。このパンは天から降って来て、世に命を与えるものである。わたしが命のパンである。わたしの姿に入る者は、決して飢えることなく、決して渇くことがない。
わたしの姿に入る者:自分を捨てる人。古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされた人。


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