「年間第20主日」(B年)説教
2015年8月16日・加藤 英雄師


 

  第一朗読、箴言です。 「知恵は家を建て、7本の柱を刻んで立てた。」
神様のみ心である知恵が見える家を建てた。知恵と交わりたい者はここに集まりなさい。
知恵と交わりなさい。知恵とつながり、友とつながりなさい。ここを何によりも大切な場としなさい。
知恵は呼びかけます。わたしのパンを食べなさい。わたしの調合した酒を飲むがよい。
わたしと一緒に食卓を囲む。自分を知ります。自分の浅はかさ、軽率さを捨て分別の道を進むのです。

今日イエスはご自分の体について語られます。神様のみ心である知恵が言うのです。わたしのパンを食べなさい。イエスは、天から降って来たパン、わたしを食べなさいと言われます。

わたしは、天から降って来たパンである。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
この男は何を言い出すのか。この男の肉を食べ、血を飲むことなど出来るはずがない。
どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることが出来るのか。
 後で分かりました。わたしたちがイエスを十字架にかけて殺したのです。

この男は天から降って来たのか。弟子たちもそれを考えることは出来なかった。主イエスは神様の力を持っている。神様のみ心を語っていると信じている。しかし、天から降って来たとは何かがまだ分からない。弟子たちもイエスの言葉に戸惑っているのです。しかし、自分たちはイエスについて行く。イエスの不思議について行く。イエスの持っている大きさについて行く。イエスの話が分からない。しかし、いつか分かるようになると思っているのです。

あなたたちはわたしが分からない。わたしの内に入ってほしい。祈りによって入るのではない。黙想によって入るのではない。言葉を理解して入るのではない、業にわたしの心を見て入るのではない。わたしの中に入って知るのです。
 わたしの喜び、悲しみ、苦しみ、忍耐、静けさ、おおらかさ、赦す心、微笑みがあなたの中に入るのです。わたしの痛み、飢え、渇きがあなたの中に入るのです。あなたの体が、あなたの心がそれを感じるものとなる。イエスが生きていることが自分の体で感じるられる、心で感じられるものとなる。

わたしを知ってほしい。 わたしは天から降って来た生きたパンである。わたしは天からの、いのちの国からのいのちのパン、今生きているパンである。このパンを食べなさい。このパン、命があなたの中に入る。このパンがあなたの中に入った時、このいのちがあなたの中に入った時、あなたがいのちに入ったことを知る。いのちは生きている。あなたは生きているいのちの内にいることになる。

「このパンを食べる物は永遠に生きる。」
イエスはたくさんの言葉を語られた。たくさんの業を行われた。神の国を語られた。神様の愛を語られた。神様からの慰め、安心を語られた。その中に入る、それだけで十分なのではないですか。

言葉が働かなければ、言葉は生きない。
愛は言葉ではない。
生きるとは言葉ではない。
イエスを信じるとは言葉ではない。
わたしを食べなさい。わたしが分かる。わたしの姿があなたの中に入る。


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