「年間第30主日」(B年)説教
2015年10月25日・加藤 英雄師


 

  イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に歩いている。
声を限りに叫ぶ声が聞こえる。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」 
何度も何度も聞こえる。多くの人々が𠮟りつけて、黙らせようとする。しかし、叫び続ける。 イエスは立ち止まって、あの男を呼んで来なさいと言われた。
イエスはこの男の声を聞いたのではないと思います。この男の思いを受け取った。
この男は主に向かって叫んでいる、主に求めている。恥も外聞もなく求め続ける。
その男の名はバルティマイ。盲人であった。バルティマイは毎日道端に座って物乞いをしている。そうでなければ金銭を得ることが出来ない。自分は社会の一員として働いていない。
人として大切にされていない。わたしの命は何なのか。この生活な何なのか。

イエスはバルティマイに言われる。「何をしてほしいのか」 「目が見えるようになりたいのです」
イエスはバルティマイを見つめる。バルティマイは「生きる」ことを求めている。今の生活には喜びがない。何も見えない。神様が見えない。自然が見えない。人が見えない。
イエスは言われる。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」 
行きなさい…信仰の道を行きなさい、信仰の道を歩きなさい。
見つめなさい。神様を見つめる。自然を見つめる。人を見つめなさい。自分を見つめなさい。

今日、イエスはわたしたちに聞かれているのです。
あなたは神様に向かって叫びたい程の願いを持っていますか。
例えば、この社会を変えたい。変えたいから少しでも語り続ける。少しでも節制している。 毎日祈る。熱心に祈る。

「ほんじょ」に書きましたが、ある神父さんはロザリオの祈りが好きです。
毎日唱えます。ロザリオの環が真っ黒になるまで唱えている。
そのロザリオを失くしてしまった。
あのロザリオで長い間祈っていたのに。あぁ、ロザリオを失くしてしまったとぼやく。 ふと神父さんは神様のみ心に気づくの です。
あなたの祈りはわたしに届いていない。あなたは自分の世界の中で祈っている。
あなたはロザリオの祈りに何を求めていたのですか。
自分の世界の中で祈るとは何か少し考えます。
わたしは今、ここで祈っています。神様、わたしの祈りを聞きに、ここに来てください。
わたしの願いを語りますから、ここに来て聞いてください。

  神様は言われるのです。あなたは一体何者なのか。座っていないで出かけなさい。
出て行って、自然と出会う、人と 出会う。
自然とつながる、人とつながる。
自然とつながって祈りが生まれる。
人とつながって祈りが生まれる。
つながりの中で神様が働いてくださる。

今日、わたしたちはバルティマイとつながった。
またイエスとつながったのです。
バルティマイと一緒に、イエスに従って歩きます。


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