「年間第25主日」(C年)説教
2016年9月18日・加藤 英雄師


 

  イエス様は今日もたとえで語られます。でも、今日のたとえは難しい、「不正な管理人」のたとえは分からないという声が聞こえました。 このたとえを一緒に味わって見たいと思います。

ある金持ちに不正な管理人が働いていた。不正をしている。その管理人は仕事をはずされてしまう。わたしには友が一人もいない。それにわたしは土を掘る力もないし、物乞いも出来ない。わたしは何も出来ない。そこで管理人は思いついた。友となるものを作ろう。そして、主人に借りのある者を一人一人呼んだ。いくら借りがあるのか。油100バトス。50バトスに書き換えなさい。小麦100コロス。80コロスと書き換えなさい。

主人に借りがある者たちは喜んだ。この管理人はわたしたちの生活の苦しさをよく知っておられる。

主人は不正な管理人のこの抜け目のないやり方をほめたたえた。この世の子たちは自分の仲間たちに対して、光の子らよりも賢く振る舞っている。
不正な富で友達を作りなさい。不正にまみれた富について忠実でなければ、誰があなたたちに本当に価値のあるものを任せるだろうか。

管理人は富を不正に受け取り、富を不正に使っているのに、主は不正な管理人をほめたたえています。わたしたちは働いて収入を得ている。働いている自分の会社が、人の生活のための善いものを作り出していますか、善いものを販売する会社ですか。また、大きく考えて、経済力の強い日本がアジアの人たちに生きる力を与えているものになっていますか。
実に、わたしたちの収入は正しい事をして得たものですか。隣人のために働いて得たものですか。いや、そうではなく、会社の仕事を忠実に働いて得たものだと思います。正義の富、不正の富を考えることなく、収入を得ています。

光の子らはそういう収入は決して善いと言わない。 そんなことを言ったら何も出来なくなってしまう。この世に住むわたしたちは言います。仕方ないじゃないか、今出来る事をするだけだよ。
  主は、今の生活の中で、善い事を行う友を作りなさいと言われているのです。今持っている財産で善い事をする、与える者となる、支える者となるのです。それが、光の子らよりも賢い出来事だよと主は言ってくださるのである。 全体を変えなければいけない。その通りです。しかし、わたしたちは自分の今の場所から善い業を行う者となりなさい、主は言われているのです。

サラリーマンにはなれない、わたしには勤まらない。フリーマンというのでしょうか。非正規従業員になる若者が多い。数百万いると言います。わたしたちの時代では、フリーマンは憧れでした。自分には成し遂げたいことがある。小説家をめざす。小説を書き続けたい。絵描きになる。絵をかき続ける。音楽家になる。作曲をする。プロとして楽器を奏でたい。
信仰の道を歩みたい。司祭になる、修道者となる。生きる、生活の中で、神様と出会って生きる者となりたい。

不正があってもいいのですか。今の生活を考えたいと思います。不正な管理人はわたしたちの姿ではないでしょうか。全体が変わって行く。それは自分から変わって行く事ではないでしょうか。


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