「待降節第2主日」(A年)説教
2016年12月4日・加藤 英雄師


 

  洗礼者ヨハネはユダヤの荒れ野で宣べ伝えます。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
天の国は今、わたしたちの方へ向かっている。すぐそこに見える。天の国は来たのです。
バス停でバスを待っているとき、誰かが叫ぶ。バスが来た。バスが見えている。すぐにもバスはわたしたちのもとに来る。そんな思いです。天の国は近づいているのではない。天の国は来ていると叫ぶのです。 天の国がわたしたちのもとに来ている?しかし、見えません。今あなたのいるところからは見えません。今あなたの目では見えません。今の生活から離れなさい。悔い改めるのです。そこから見る。見つめる。悔い改めの目で見つめる。心を開きなさい。心の目で見るのです。

ヨハネは言います。蝮の子らよ、悔い改めにふさわしい実を結べ。お前たちは蝮ではないか。自分の思いのまま生きている。蝮よ、お前たちは自分が悪いばかりではなく、お前の心の中にある毒で、人を傷つけている。平安を壊している。
わたしたちは洗礼を受けています。アブラハムの子です。神様のうちにいます。
パウロは厳しく問います。お前たちの信仰の実りは何か。良い実を結ばない木は皆、切り倒されて火に投げ込まれる。

わたしたちは今、待降節にいます。イエス・キリストの誕生を待っています。ただ待っているのですか?ただ待っている人にイエスは見えない。自分の世界から出て行く。悔い改めの世界に入らなければ、イエスが見えない。わたしたちはイエスの姿に天の国を見る。天の国の始まりを知ります。

天の国とは何かを思います。今日の第一朗読イザヤ書を読んで、聖なる山の世界、これが、天の国の有様なのかと思いました。

狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。

聖なる山の世界では何ものも害をくわえず、滅ぼすこともない。
海はいのちの水で覆われ、大地は生きる命の土台として据えられている。

この世界を信じますか。なかなか受け入れられない。理解できない。聖なる世界の出来事、すべてのものが生きていることを喜ぶ、敵であるものが生きていることを喜ぶことが出来る。聖なる山、天の国の世界を見ているのです。

わたしたちはイエスに天の国の始まりを見ます。天の国はイエスの出来事から始まっていると言いました。 エッサイの株から一つの枝が出た。エッサイ(富めるという意味)からヨシュア/イエス(主は救い)が生まれる。ヨシュアはイエスのヘブライ語の名です。富める、一番大切な物が豊富に与えられている。一番大切なものは主の霊ではないでしょうか。主の霊によって一人の子イエスが生まれた。その子イエスは主の霊に満たされている。いや、イエスは主の霊のうちにいるのです。
主の霊によって人を見る。正義を腰帯としている。

その方の誕生を待ち望んでいます。わたしたち皆が、清い心でその方を受け取ることが出来ますように。


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