教会報第187号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

  


「ミサ前提の教会1」

 今月から「典礼」について書く前に「教会」について書かなければなりません。「教会」というと、皆様は、建物、その中の様式などのことがまず頭に浮かぶのではないでしょうか。教会の初めは集会でした。福音体験をした人、復活したイエスに出会った人たちが集い、イエスの遺言であるミサを祝っていました。
ところで、基本的なところを確認しておきたいのですが、キリストに従う私たちにとって重要な事は、この日常で「キリストのことをいかに知るか」ということです。
キリストの生涯を動かしていた原動力は『これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない』(マタイ18・14)。これが、後に人間一人ひとりに対する限りない優しさ、つまり神の愛を示していきます。そして、イエスは『群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた』(マタイ9・36)。キリストは、この優しさに突き動かされます。だからキリストは、過酷な日々の生活の中で重荷を背負って、希望を見出せないままにもがき苦しむ人に寄り添っていくのです。そんなキリストの全身から触れ出てくる優しさに魅了され、その温かさに触れ包まれて生きる希望と喜びを見出した人たちの集まりが誕生します。これが教会の元です。そこから自ずと、その喜びを周りの人々に伝えていこうとするムーブメントが生まれます。つまり、福音宣教です。
ローマ帝国に支配され、当時、社会の底辺で人間としての尊厳を踏みにじられ、虐げられ、惨めな思いをしながら生きざるを得なかった人々が、新鮮で魅力あるムーブメントに出会います。それがあっという間に広大なローマ帝国内に広まるのです。
しかし、長い歴史の中で、教会は権威をまとい、権力を身に付け、難解な教義で自ら武装し、「小さな人々」が近づきがたい姿に変貌します。時にはキリストの心を歪め裏切るような行為をとったことを否定できないのです。でも、それほど外見が変貌しても、その根底にはキリストの心が受け継がれ、燃え続けていたのでしょう。そうでなければ、教会は歴史の中に埋没してしまったかも知れません。そんな時、ヨハネ23世が第二バチカン公会議を開催し、本来の教会の姿、つまり、キリストの心に忠実に歩むように改革をしました。教会の二千年の歴史を振り返り、過ちを真摯に認めたのです。皆さんは、その様な教会の歴史の大きな流れの中にいます。
では、もう少し詳しく見ましょう。教会はギリシャ語で「エクレジアス」といい、意味は「呼び出された者たちの集まり」です。一コリント書の初めには『コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。』(一コリント1・2)と記されています。ここで強調されているのは「教え」ではなく「キリストとの関わり」です。徴税人マタイやマグダラのマリアなど「キリストの名を呼び求める人々」を具体的に思い浮かべれば明らかでしょう。厳しい現実を生きた彼らがキリストに惹かれたのは、難しい理屈ではなく、人々の苦しみと重荷を背負おうとするキリストの柔らかな人柄そのものです。難しい理屈、つまり教義は彼らには無縁だったのです。キリストに出会い、キリストの存在から放射され照射されてくる柔らかで暖かな光に包まれて、彼らは生きるための力、光、希望を汲み取ったのです。教えが表に出てくるのは3世紀から4世紀になってからであり、16世紀に起きた宗教改革は、基本的には教会共同体の有り様についての教義上の対立で、分裂の元凶は教義へのこだわりでした。
また、誕生したばかりの共同体のまとめ役として「監督」(テモテ一3・1~7)、ヤコブの手紙では「長老」(5・14)と呼ばれている人たちが生まれます。監督にせよ長老にせよ、その基本的な役割は共同体をまとめるもので、つまり広い意味での共同体の管理です。パウロは、テモテの手紙の中で、皆の中から信頼できる人物を選ぶように勧めています。ところが、しばらく経つと使徒たちによって按手された人々が現れます。この人たちは、福音宣教や奉仕活動に派遣されて行きました。例えば、ステファノなど7人が奉仕者として選ばれる時や、パウロとバルナバが異邦人の世界に派遣されるときに行なわれました。この按手の儀式が、後に助祭職や司教、司祭職に人々を任命する儀式の中心となっていったのです。もともとは貧しい人々への奉仕や宣教であり、共同体のまとめ役という任務ではなかったのです。ところが、彼らが徐々に地域の教会共同体に遣わされることによって、その共同体の中心になって行き、それまで監督や長老たちに委ねられていたまとめ役としての任務まで兼ねるようになって行きます。つまり、地域教会の管理まとめ役としての役割は、初代教会共同体の具体的な事情から課せられるようになったもので、もともとは司祭の役割にはなかったものなのです。
司祭として訳されている言葉、ラテン語では「サチェルドス」と言い、もともとの意味は「聖なるものを与える」ということです。「この世の世界から分け隔てられ、神だけに結ばれるもの」とか「欲望に汚されていないもの」という意味です。この「サチェルドス」の視点に立つと、司祭の役割は、一般社会の現実から離れたところに身を置き、神の世界と交わりながら、「聖なるものを人々に分かち与えること」ということになります。
旧約の世界では「聖」という視点が重要であった事は否定できません。「聖」に軸足を置いた神と人との関わり方を折ってしまったのがキリストです。キリストは、罪人と交わることを非難するパリサイ派の人々に『私が求めるのは、憐れみであっていけにえではない』(マタイ9・13)と、憐れみや愛に軸足を置いたメッセージを訴え続け、「聖」を強調して神と人との関わりを育てようとすることを拒絶したのです。当時の社会にあって、これは衝撃的なメッセージでした。キリストは聖なる神に軸足を置くパリサイ派の人々とは異なり、神は人をこよなく愛する憐れみそのものであるという神理解に支えられて、罪人たちの真っ只中に身を投じることを躊躇しなかったのです。従って、そのようなキリストが、自ら選び、派遣しようとする人たちに、聖であることを最も重要な条件として求めたとは考えられません。また、後のキリスト教はギリシア・ローマ社会に浸透し、徐々に信仰生活のアクセントが、主日に聖堂に集まって祈ったり、典礼にあずかったり、司祭たちの説教を聞いたりなどという地域の教会とその聖堂を中心としてするものに移って行きます。旧約の世界とは別の意味で聖が重要な要素になり、司祭たちにも聖であることが求められるようになっていったのです。
プラトン哲学の影響受けた4・5世紀の教会に、聖と俗という二元論が並べられるようになった歴史的背景も無視できません。プラトンは「身体は人間にとって牢獄である」という肉体を蔑視する世界観の持ち主です。こうした哲学の影響を受けて、この世の営みを蔑視する二元論が教会の中にも浸透していきます。これがキリスト教的な二元論となります。――神は純粋な霊であり、複雑な欲望はなく聖なるものである。肉に閉じ込められた人々が営むこの世界は『目の欲、肉の欲、生活のおごり』(ヨハネの手紙一2・16)によって汚されている。教会は聖なる神の国の門、入り口であり、その聖なる世界に近づくためには欲望を抑制し、聖となる必要がある――そうして、司祭たちは一般の人々とは別世界に住む人々になってしまいました。それは、本来キリストが求めたものではなかったのです。

今月は、この辺にしておきましょう。



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