現在のカトリック本所教会主任司祭

イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父
 

 
東京教区での渡邉泰男師の略歴

司祭叙階       2006年3月5日
     
目黒教会助任    2006年〜2009年       
 
豊四季教会助任  2009年〜2010年
豊四季教会主任  2010年〜2017年
 
本所教会主任    2017年4月〜

 


教会報
第196号
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第195号
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第187号
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第185号
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第183号
教会報第202号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会 14

(3)第二バチカン公会議に向かって (続き)

ヨハネ23世の登場

ピオ12世の後を継いだヨハネ23世教皇は、選出されたわずか3ヶ月後の1959年1月25日、使徒パウロの祝日にローマ郊外の聖パウロ・バジリカ大聖堂のミサの説教の中で、公会議招集の意向を明らかにした。それはあまりにも唐突なことであり、誰一人予期していないことであったため、全世界の教会に大きな衝撃を与えることになった。教皇は、その驚きに対して、それは聖霊の導きによるものであると単純に答えているが、選出されてわずか3ヶ月後に、現代教会に決定的な影響を及ぼす公会議の招集を呼びかけたということは、教皇のうちに、教会を変えなければならない、刷新しなければならないという確固たる信念があったに違いない。
しかし、教皇がそこで表明した公会議の当初の具体的な目的は、全キリスト信者の一致を促すことで、必ずしも教会の刷新ということではなかったのです。その呼びかけのもとに始まった公会議への流れが、教皇の内にひそんでいた更なる思いを引き出し、それがまた、教会を変えなければならないという多くの司教たちの思いと重なり合って、教会の刷新運動に進んでいったということです。
ところが、公会議を招集しようとした教皇の意図は、ピオ12世のもとで働き、当時の教皇庁に務めていた枢機卿や司教たちを始めとする人々には理解されませんでした。刷新への流れは、一挙にはいかなかったのです。教皇の意図を理解していなかった事実は、当時の著名な枢機卿や大司教たちの言動からも明らかです。例えば、検邪聖省の前長官のピッザルド枢機卿は、「人類は2つの世界に直面している。悪魔の都であるいわゆる現代社会とバチカンに象徴し代表される神の都である。神の都の外の世界は、新しいバベルの都だ」とラテラノ大学で講演し、ピオ12世来の視点で語っていました。これなどは、教皇庁に関わる指導者たちが、ヨハネ23世を理解しなかったことを明らかにするものです。こうしたバチカンの現実を見て、世界各国の司教たちは公会議の成果を危ぶむが、その懸念を払拭したのは教皇自身でした。
それは2つの回勅です。「マーテル・エト・マジストラ」と「パーチェム・イン・テッリス」の公布でした。1961年の回勅「マーテル・エト・マジストラ」で、教皇は、近代主義を断罪した歴代教皇たちの諸教書を言外に否定し、良心の自由などを含めた人間一人ひとりの責任を強調しました。また、「パーチェム・イン・テッリス」(1963年)では、さらに踏み込んで信教の自由を認め、共産主義そのものを「偽りの哲学」と呼びながらも、その様々な実践面では、たとえ唯物論の原理から派生し、そこから着想を得た思索だとしても、現実の政治に生かせるという考えを示し、共産主義者との対話をも肯定するものでした。
このような回勅の中で示された新しい姿勢を受けながら、公会議が開催されます。1962年の開会式のミサの説教の中で、教皇は明確に、自分は公会議の準備を行ってきた教皇庁の護教的姿勢に組するものではないと語り、公会議の目的が、教会一致にとどまることなく全教会の刷新にあることを明確にし、不毛な学問上の論争や護教論に固執せず、福音の源泉に戻り、司牧の観点から教会の現代世界への適応、刷新を目指すように、全司教たちに要請したのでした。それは、ピオ9世から始まった教会の歴史を念頭に置けば実に画期的なことでありました。

 
教会報第201号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会 13

(2) 教皇への権力集中の流れと 歴代教皇たちの姿勢(続き)

近代における教会の歴史を見てきました。これから特に歴代教皇様をみてみたいですが、もうすでに教会の歴史が難しすぎるというお声も届いてきましたが、教会にとって重要な時期なので、森司教様の本(『これからの教会のありようを考える』2011年女子パウロ会)を引用します。

近代主義を敵対化したそれまでのピオ九世や十世と異なって、ピオ十一世以降の教皇たちは、自由・民主国家の中では、教会は国家と共存できるという認識の上に立って、宗教そのものを否定し弾圧する共産主義のヨーロッパ各地への浸透を脅威と捉えて、共産主義の浸透を食い止めることにエネルギーを注いだ。ピオ九世からピオ十二世までの教会の姿をまとめると次のようになる。

◇カトリック教会の自己認識に関して
教会こそ、天と地の唯一の仲介者であり、カトリック教会を介してのみ、救いが与えられる。カトリック教会だけが、絶対不変の真理の保持者である。その教義も不変である。

◇教皇の権限について
教会の頂点に立つ教皇は、全世界の教会に直接指導する普遍的な権限を持つ。教皇・司教・司祭は、その配下にあるものに対してキリストの代理者である。特に教皇は、特別な神の加護のおかげで、信ずべき教義を対象とするときには不可謬の恵みを与えられている。教皇を中心とした中央集権主義の徹底。地域教会における多様性の排除。

◇近代社会に対して
自由・平等などの理念や、実証科学並びに合理主義的精神は、教会の教義を脅かし、善良な信仰者を信仰の道から反らせてしまう警戒すべき毒である。なかでも、神を否定する共産主義は、容認の余地のない悪であり誤謬である。誤謬には、自己弁明の権利は無い。したがって誤謬の中に生きる人々との対話・共存の否定。

◇教会内の引き締め
検邪聖省の働きを強化し、モデルニズム的言動の取り締まり。最高に評価されるべき徳は、教皇や聖職者たちに対する従順。司牧者たちの務めは、教会がその毒に汚染されないよう配慮すること。一般信徒は、司祭の指導に従うこと。

神学生たちには、非歴史哲学・神学であるネオ・トミズム、スコラ神学を学ぶことを義務づけ、聖職者たちには、反モデルニズムの宣誓を求める。近代科学、考古学などの研究手法と成果を、聖書研究に取り入れることに対する極度の警戒心と用心さ。エキュメニカルな対話運動・一致運動はあり得ない。他の宗教に対しても否定的。

(3) 第二バチカン公会議に向かって

近代主義の毒から教会を守ろうとしてさまざまな手を打った教会は、しかし、現実世界の混乱に対しては全く無力であった。特に、国家の名において殺された人々が推定でも一億人をくだらないと言われる第一次世界大戦、第二次世界大戦にしても、ナチスなどの残虐な行為に対しても、無力であった。その歴史的な事実は、だれもが認めるところである。しかし、問題は無力であったというだけではすまされず、愛国心を肯定的に評価してあおったり、共産主義という口実のもとに参戦することを正当化したりして、世界大戦を現実的には肯定してしまっていた。そんな教会が、世界に意味ある存在なのか、それが、新たに問われ始める。そこにヨハネ二十三世が登場したのである。

そして、第二バチカン公会議が召集されるのです!

 
教会報第200号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

「ゆるしの秘跡を受ける準備」

 ゆるしの秘跡は、神に対して謝り、神に立ち帰る恵みをいただく秘跡(目に見えない神の恵みを目に見える形にしたもの)です。何を謝るのか。一般に犯した罪を告白して謝るということです。この「罪」というヘブライ語の語源は「的外れ」という意味です。つまり、私たちは光である主キリストに向かうあゆみが、いつかどこかで神に背を向けて道を外れるあゆみになり、これが罪です。この罪に気付くために、以下のような糾明をしてみて下さい。

1.自分に対する神様からの恵み、神の愛、神の期待を第一に思い起こす。
2.その恵みの中で、光なる神様に背を向けて歩んでいた時のその影を見つめる。
3.その影ー神様に背を向けての歩みが罪です。
4.その罪を告解場で自ら告白する。

【恵みを生きるー神との関係の中で生かされている!】
 まず初めに、「私」がどんな罪を犯したかと考えると、思考する私が先行してしまう。神によって創られ「良し」とされた一人の人間としては、「神が」「私に」どうされたかを考え思い起こすのです。私たちの意識のレベルでは、私、つまり「己」が中心となり先行してしまうと自己中心的にならざるを得ないのです。神と私たちの関係が、『主と僕の関係』でありながら、「主が私」になり、「僕が神」になってしまう。それはどんなに真面目にミサに毎回出ようと、この思考順番を間違えると日常生活の中で見えない神の活き(はたらき)は何も体感できません。そこで、神からの活きを思い起こす。つまり、神が私になにをしてくださったか?とか、これをやるのをゆるされたとか、ある祈りが聞き入れられたとか、ある人との出会いを与えて下さったとか、自分にとってラッキーと思えた時々を思い起こすようにするのです。神からの活きかけを最初に思い起こすのです。
 神の活きを思い起こせると、自然に神の愛に包まれ護られた「私」を感じ観られるはずです。同時に、そうなれば自分の罪ーキリストの道に外れたあゆみーが浮かんできます。同時に神によって赦されている自分にも気づくのです。キリストに従ってあゆんでいたはずが、そうではなかったと自ずと悟るのです。それが罪であり、神に対して謝ざるを得ないものになるのです。このような、不思議な見えない世界の神の活きのうちの体験をします。これが神の愛に包まれる体験になるでしょう。
 私たちは、神との関係性の中でしか神に対する罪は悟れず、ただただ、道徳的倫理的な過ちを罪と考えがちになります。それは世間的な人間関係のレベルにしか生きてなく、見えない神の世界に想いを馳せていないのと同じなのです。神の偉大な恵みをどこかで忘れ、神との関係性よりも、見える世界の人間関係の世界が第一になってしまっているのです。いつでもどこかで、神が私に何を、どのようにさせたいのだろうという思いを馳せながら生きたいものです。
 たとえ、ゆるしの秘跡が受けられなかったとしても、神の恵みをしっかりと思い起こしましょう。神から与えられる大いなるプレゼントー主キリストの誕生ーを祝う準備の待降節をおくるために。

 
教会報第199号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会

(1)第Uバチカン公会議までの教会
=近代社会の芽生えを大断罪する教会?=

実証主義、合理主義に対して

フランス革命の流れと歩調合わせるかのように台頭し、人々の教会離れを加速させたものがあります。それは、ガリレオ裁判に見られるような自然科学であり、それを支える実証主義と合理主義です。天地創造を始め聖書の様々な物語に対する懐疑心を芽生えさせてしまう実証科学は、実に当時の教会にとっては受け入れ難いものであり、教会は権力でそれを押さえ込もうとしました。しかし、歴史の中に芽生えてきた新しい流れは、権力で抑えきれるものではありません。権力で押さえ込もうとすればするほど反発を買い、両者の対立が激化し、教会に対する一般社会からの反発は強まりました。実験の積み重ねと理論で全てを合理的に明らかにしていくべきであるとする実証主義、合理主義の立場に立つ人々にとっては、教会が教える教義、信仰箇条、そして聖書の世界は非合理の世界です。彼らにとっては、それは迷信以外の何物でもなく、教会は無知な教養の無い人々の共同体ということになるのです。合理主義、実証主義が人々の間に浸透していくに従って、人々の教会離れが加速していきました。

教会権力から自立する社会に対して

革命期、ナポレオンが登場します。歴史家たちは、ナポレオンという独裁者の登場を、革命による社会の変化が急激すぎて、人々が社会に落ち着きを求めるようになったためであると説明します。確かに彼の登場によって、革命の混乱に一応終止符が打たれ、フランス社会は秩序を取り戻します。いわゆる王政復古です。そのおかげで革命によって追放されたり否定された君主たちも息を吹き返しますが、しかし、それで革命の理念が後退することはありませんでした。それはナポレオンが制定した法典の中にも受け継がれ、合理主義、自由主義の精神も社会の様々な分野に浸透し、社会における教会の影響力はますます弱まって行ってしまいます。
特に、思想の自由、結社の自由、報道の自由、信教の自由などが確立され、近代社会の隅々にまで浸透していくに従って、公立学校で特定の宗教を教えることが排除されたり、それまでの教会ではタブーであった離婚も民法上認めるようになったりして教会離れは加速されました。

(2) 教皇への権力集中の流れと歴代教皇たちの姿勢

少数派に止まりますが、歴史の流れを鋭く洞察し、改革の理念を肯定し、教会と国家の完全分離、信教の自由、教育の自由、出版の自由、検閲制度の廃止、政教分離の上に立つ議会政治と普通選挙の完全実施などを認め、その流れの中で教会のあり方、信仰のあり方を育てなければならないとする司教や司祭、神学者たちが存在したことも事実です。しかし、大勢は、近代社会を支える理念を教会とその信仰生活に対する脅威と捉え、教会が市民国家の管理下に置かれて社会に埋没してしまうことに脅威を抱いていたのです。こうした流れの中でヨーロッパ各地の教会の中に高まってきたものが、教皇への期待です。というのは、近代社会の潮流に対峙していくことは、改革によって揺さぶられていた地域の司教たちの手に負えないことになってしまっていたためです。教皇を中心にして全世界の教会が結束し、近代社会に抵抗しようとする流れが高まっていった、というわけです。その流れの中で、バチカンを中心とした中央集権体制を確立しようとする道が開けていったのです。それに応えたのが、ピオ九世以降の教皇たちです。その中でも確固とした中央集権制の完成に大きく貢献した教皇がピオ九世でした。

 
教会報第198号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会

第Uバチカン公会議までの教会
=近代社会の芽生えを大断罪する教会?= (続き)
 前号から引き続き、@自由、A平等という理念と、B科学技術の発達、それに資本主義経済というものが歴史の表に現れたとき、教会はどのようにそれを受け取り、反応し、歴代教皇が具体的にどのように対応しようとしたかを確認してみましょう。

@自由、A平等の理念に対して この理念を最初に掲げたのは1789年のフランス革命です。この革命は、すべての人間は皆、自由、平等で、それぞれ幸せになる権利があるという理念を掲げ、貴族や王などの一部の人間たちにしか享受することを許されていなかった特権を彼らから剥ぎ取り、新しい市民社会への道を開いたのです。しかし、教会はそれを、教会とその信仰生活にとって危険な流れとして捉えました。その直接的な理由は、当時の教会が、ルイ王朝と深く結びついており、特権を剥ぎ取られていく王たちと同じく被害者の立場に置かれてしまったからです。
それまで神学者たちは、王権神授説を持って、王権を理論的に支えていました。また修道者や聖職者たちは、国家にとって大事な教育事業や公的救済事業に深く関わっていました。さらにまた小教区の主任司祭たちは、出産、結婚、死亡等の管理を担当していました。したがって当時の教会が、王朝への攻撃を、教会への攻撃として否定的に受け取ってしまったのは当然のことでありました。
革命の当初は、聖職者たちの中にもその理念に賛同する者もおり、地方において異なりますが、その理念に否定的な者と賛同する者との間で対立し、フランスの教会にきしみを生じさせていましたが、やがて革命の精神が浸透し、社会全体が反キリスト教、反教会的になるに従って、社会全体から弾圧されるようになってしまいました。それがどんなに凄いものであったかは、当時の歴史を具体的に検証してみれば明らかでしょう。市民社会や市民革命に賛同しない司祭、修道者たちは逮捕されたり、追放されたり、その財産を没収されたりしました。その当時の記録によると、革命の4年後の1792年には3万人から4万人の司祭たちが国外に追放されたとあります。また興奮した暴徒が牢獄に押し寄せ、投獄されていた数百人にのぼる司教、司祭を虐殺するという残酷な事件も記録されています。
当時の社会が、教会の影響力を社会の営みから徹底的に排除しようとした事は、1793年のグレゴリオ暦の廃棄、共和国固有の新しいカレンダーの作成と適用からもわかります。日曜日と一週7日制が廃止され、変わって一週10日制が用いられました。共和制の誕生記念ともいえる1792年9月22日を起点とする新しい日付が制定され、キリスト教に関する祭日、休日は消えてしまいました。パリ市内の多くの教会も閉鎖され、その代わりに「理性の神殿」が設けられた時期でもあります。それほどに、教会への反発が強まっていったのです。
こうした革命の炎は近隣諸国にも広がり、ドイツの教会も、その影響を受けます。領主であると同時に司教でもあった者たちは、封建領主であるとして資格を奪われ、膨大な教会財産は没収され、修道院の土地等も略奪されてしまいます。また教会の権限も徐々に剥ぎ取られ、聖職者たちは国家の公僕ように位置づけられ、国家によって管理されるようになってしまうのです。

 
教会報第197号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会]

前回まで3回に亘りイエスの生きた時代背景を見てきました。ユダヤ人社会は、大国の侵略を受け支配されていました。そのユダヤ人社会では、少数の権力者らによる横暴と不正に多くの人々が喘いでおり、かつ、その社会は差別を容認していたのです。福音書は、キリストが、このユダヤ人社会の厳しい現実の中で、人間としての尊厳を踏み潰されてしまっていた人々に対する福音であった事を記しています。
人々にとって、キリストとの出会いは観念的なレベルでの救いではなく、日々の現実に痛めつけられていた人間性の回復と救いであったのです。実にそうしたキリストとの出会いから生まれた共同体は、権力と欲望と暴力が支配する世界の中で、魅力ある共同体になっていたのです。こうした福音書の中から浮かび上がってくる福音理解こそ、福音宣教という重い課題を背負った現代の教会が現代社会にあってどこに重点をおくべきか、光を与えてくれるものです。 さて、16世紀に宗教改革が起こり、これに対抗してトリエント公会議でのカトリック教会のことを覚えておられるでしょうか。当時の教会が打った手は教会全体の引き締めです。異端審問制度の強化や禁書目録の周知徹底によって、引き締めを強化します。つい最近まで、聖書を自由に読んではいけないと言われ育った信徒の方々もおられることでしょう。こうした一連の引き締めの中心は、教皇を中心としたバチカン省庁によって行われ、それまでは、地域の司教を中心として主体的に動いていた教会が、徐々に教皇をピラミッドの頂点とした中央集権的な体制に変わっていきました。教皇、枢機卿、司教、司祭、修道者という教会内の序列が明確になり、信徒はその一番下に位置づけられ、「教えられ、導かれ、統治される立場」に置かれるようになっていきます。教会の中で、信徒たちが主体的に発言したり、行動したりすることが許されず、完全に受動的な立場に置かれるようになってしまうのも、この時期からです。今もって、現代社会に相応しい関わりが信徒と司祭の間で育てられていないのは、トリエント公会議で確立した教会像、司祭像から、信徒も司祭も抜け切ることができないためだろうと言えましょう。 そこで、第Uバチカン公会議に目を向け、近代の教会の歴史を見ていきましょう。

1.第Uバチカン公会議までの教会
         −近代社会の芽生えを大断罪する教会−
18、19世紀の教会の特徴を総括すると、近代社会を構築するための原動力となった新しい社会の芽生えを理解できず、その価値と意味を否定的に捉え、それを真っ向から大断罪し、正当な教義と信仰生活を近代社会から守ることに自らの役割があると自覚し、教会を近代社会から信者たちを守る堅固な要塞としていたということに尽きます。トリエント公会議以降と同じ、いやそれ以上に締め付けが強化されていきました。
近代社会に至るまでの流れを育ててきた原動力は、@自由、A平等という理念と、B科学技術の発達、それに資本主義経済です。この@からBは現代社会の発展を支えている大きな柱です。ところが、この3つが社会の中に芽生え、育ち、互いに重なり合って、社会全体が大きく動き始めようとした時、教会は、弾圧する側に立ってしまいました。その排他的な決定的姿勢が、基本的には第Uバチカン公会議までの教会を支配し、それが神学を始めとするすべての信仰生活を覆っていたのです。この影響を信仰面で受けておられると、教会の教えと聖書のキリストの教えとの違いがわからず、福音それ自体もピンとこなくなってしまうでしょう。

この3つが形となって歴史の表に現れたとき、教会はどのようにそれを受け取り、反応し、歴代教皇が具体的にどのように対応したかは、次回で。

 
教会報第196号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会\

実にキリストと出会い、自らの人生の福音として体験した人々の共同体=教会、それを支える命は人々の福音体験でした。前回に続きキリストの時代に生きたユダヤ人たちがどのような苦しみを背負っていたかをみてみましょう。

(3) 差別構造の重圧にあった人々

当時のユダヤ社会の至るところで差別が正当化されていました。人間一人一人が尊いと訴え続けるキリストの言動は、差別を肯定し正当化し続けてきたユダヤ社会の指導者たちの目には、社会の自由と安定を揺るがせる危険極まりない言動として映ったのです。ユダヤ社会の差別の基本にあるものが、選民意識に由来するものでした。その出発点は、アブラハムの選び。人々は、自分たちは神から直接選ばれたアブラハムの子孫の民であり、そのアブラハムにつながることによって、神の祝福に与ることができるという意識を生きており、そこから他の民族を蔑視する傾向が育ちます。マルコ福音書5章25節の12年間出血を患っていた女性の癒しのエピソードも、差別の視点から光を当てていくと、そこから鮮明なメッセージが伝わってきます。実に彼女の苦しみや、病との戦いだけではなく、不浄者として地域共同体から隔離され、孤独な状態に追いやられていたことがあったはずです。したがって、彼女の癒しは病の癒しということにとどまらず、共同体への復帰を意味したのです。同じことが重い皮膚病を患っていた人たちにも言えます。彼らの癒しは、地域共同体への復帰でもあったのです。
誰かの病を癒しがたいものとして判断し、隔離を命じるのは祭司たちの役目であり、指導者たちが、こうしたことで苦しむ人々を擁護するどころか、加害者としての役割を果たしていたということも見落としてはならないことです。また、特に福音書が、差別されていた人々とキリストとの出会いを通して、福音を伝えようとしていることも、涙すべきことです。例えば、新約聖書の冒頭に置かれて、キリスト誕生の神秘を明らかにするケースにおいては、罪ある女性たちが登場します。男性中心の家系図が一般的な社会にあって女性が系図の中に登場すること自体、珍しいことですが、故に、そこに登場する女性たちの全てが、マリアを除いて、罪に関わる女性たちです。 さらに、マタイ福音書2章1節で、生まれたばかりの救い主のもとに導かれたのは、東方の占い師の学者たちです。占い師は律法で厳しく断罪されていた存在です。そんな彼らが、誕生したばかりのキリストのもとに招かれていたのです。ルカ福音書では、キリストが誕生する場所は、ユダヤの教養がある人々からは蔑視されるような家畜小屋であり、そこに招かれていくのは、同じようにユダヤの一般社会のアウトサイダー的な存在であった羊飼いたちだったからですでした。イエスの最後の場面で、息を引き取った後にイエスが神の子であったと宣言するのは、ユダヤ人たちが軽蔑していたローマの百人隊長とその兵士たちです。(マタイ27・ 54) さらにまた、復活したキリストに最初に招かれたのも、女性たちです。実に、救い主としてのキリストとの出会いをした人が、キリストの誕生の瞬間から復活まで、差別され軽視されていた人々であったと伝える聖書の一貫した姿勢は、差別を疑いもせず容認し続けてきただけではなく、加害者ともなっていた当時のユダヤ社会に対する挑戦であったとも言えるのです。キリストは差別社会の中でがんじがらめにされて苦しみ続けていた人々に、真の自由と解放を与えたのです。







 

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講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
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(注:接続回線の状況によっては時間がかかる場合があります。)
 
日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
講演の記録はここをクリックしてください
 

日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
講演の記録はここをクリックしてください

 
日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
講演の記録はここをクリックしてください
 
日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
講演の記録はここをクリックしてください
 

 

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