現在のカトリック本所教会主任司祭

イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父
 

 
東京教区での渡邉泰男師の略歴

司祭叙階       2006年3月5日
     
目黒教会助任    2006年〜2009年       
 
豊四季教会助任  2009年〜2010年
豊四季教会主任  2010年〜2017年
 
本所教会主任    2017年4月〜

 


教会報
第196号
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教会報第198号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会

第Uバチカン公会議までの教会
=近代社会の芽生えを大断罪する教会?= (続き)
 前号から引き続き、@自由、A平等という理念と、B科学技術の発達、それに資本主義経済というものが歴史の表に現れたとき、教会はどのようにそれを受け取り、反応し、歴代教皇が具体的にどのように対応しようとしたかを確認してみましょう。

@自由、A平等の理念に対して この理念を最初に掲げたのは1789年のフランス革命です。この革命は、すべての人間は皆、自由、平等で、それぞれ幸せになる権利があるという理念を掲げ、貴族や王などの一部の人間たちにしか享受することを許されていなかった特権を彼らから剥ぎ取り、新しい市民社会への道を開いたのです。しかし、教会はそれを、教会とその信仰生活にとって危険な流れとして捉えました。その直接的な理由は、当時の教会が、ルイ王朝と深く結びついており、特権を剥ぎ取られていく王たちと同じく被害者の立場に置かれてしまったからです。
それまで神学者たちは、王権神授説を持って、王権を理論的に支えていました。また修道者や聖職者たちは、国家にとって大事な教育事業や公的救済事業に深く関わっていました。さらにまた小教区の主任司祭たちは、出産、結婚、死亡等の管理を担当していました。したがって当時の教会が、王朝への攻撃を、教会への攻撃として否定的に受け取ってしまったのは当然のことでありました。
革命の当初は、聖職者たちの中にもその理念に賛同する者もおり、地方において異なりますが、その理念に否定的な者と賛同する者との間で対立し、フランスの教会にきしみを生じさせていましたが、やがて革命の精神が浸透し、社会全体が反キリスト教、反教会的になるに従って、社会全体から弾圧されるようになってしまいました。それがどんなに凄いものであったかは、当時の歴史を具体的に検証してみれば明らかでしょう。市民社会や市民革命に賛同しない司祭、修道者たちは逮捕されたり、追放されたり、その財産を没収されたりしました。その当時の記録によると、革命の4年後の1792年には3万人から4万人の司祭たちが国外に追放されたとあります。また興奮した暴徒が牢獄に押し寄せ、投獄されていた数百人にのぼる司教、司祭を虐殺するという残酷な事件も記録されています。
当時の社会が、教会の影響力を社会の営みから徹底的に排除しようとした事は、1793年のグレゴリオ暦の廃棄、共和国固有の新しいカレンダーの作成と適用からもわかります。日曜日と一週7日制が廃止され、変わって一週10日制が用いられました。共和制の誕生記念ともいえる1792年9月22日を起点とする新しい日付が制定され、キリスト教に関する祭日、休日は消えてしまいました。パリ市内の多くの教会も閉鎖され、その代わりに「理性の神殿」が設けられた時期でもあります。それほどに、教会への反発が強まっていったのです。
こうした革命の炎は近隣諸国にも広がり、ドイツの教会も、その影響を受けます。領主であると同時に司教でもあった者たちは、封建領主であるとして資格を奪われ、膨大な教会財産は没収され、修道院の土地等も略奪されてしまいます。また教会の権限も徐々に剥ぎ取られ、聖職者たちは国家の公僕ように位置づけられ、国家によって管理されるようになってしまうのです。

 
教会報第197号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会]

前回まで3回に亘りイエスの生きた時代背景を見てきました。ユダヤ人社会は、大国の侵略を受け支配されていました。そのユダヤ人社会では、少数の権力者らによる横暴と不正に多くの人々が喘いでおり、かつ、その社会は差別を容認していたのです。福音書は、キリストが、このユダヤ人社会の厳しい現実の中で、人間としての尊厳を踏み潰されてしまっていた人々に対する福音であった事を記しています。
人々にとって、キリストとの出会いは観念的なレベルでの救いではなく、日々の現実に痛めつけられていた人間性の回復と救いであったのです。実にそうしたキリストとの出会いから生まれた共同体は、権力と欲望と暴力が支配する世界の中で、魅力ある共同体になっていたのです。こうした福音書の中から浮かび上がってくる福音理解こそ、福音宣教という重い課題を背負った現代の教会が現代社会にあってどこに重点をおくべきか、光を与えてくれるものです。 さて、16世紀に宗教改革が起こり、これに対抗してトリエント公会議でのカトリック教会のことを覚えておられるでしょうか。当時の教会が打った手は教会全体の引き締めです。異端審問制度の強化や禁書目録の周知徹底によって、引き締めを強化します。つい最近まで、聖書を自由に読んではいけないと言われ育った信徒の方々もおられることでしょう。こうした一連の引き締めの中心は、教皇を中心としたバチカン省庁によって行われ、それまでは、地域の司教を中心として主体的に動いていた教会が、徐々に教皇をピラミッドの頂点とした中央集権的な体制に変わっていきました。教皇、枢機卿、司教、司祭、修道者という教会内の序列が明確になり、信徒はその一番下に位置づけられ、「教えられ、導かれ、統治される立場」に置かれるようになっていきます。教会の中で、信徒たちが主体的に発言したり、行動したりすることが許されず、完全に受動的な立場に置かれるようになってしまうのも、この時期からです。今もって、現代社会に相応しい関わりが信徒と司祭の間で育てられていないのは、トリエント公会議で確立した教会像、司祭像から、信徒も司祭も抜け切ることができないためだろうと言えましょう。 そこで、第Uバチカン公会議に目を向け、近代の教会の歴史を見ていきましょう。

1.第Uバチカン公会議までの教会
         −近代社会の芽生えを大断罪する教会−
18、19世紀の教会の特徴を総括すると、近代社会を構築するための原動力となった新しい社会の芽生えを理解できず、その価値と意味を否定的に捉え、それを真っ向から大断罪し、正当な教義と信仰生活を近代社会から守ることに自らの役割があると自覚し、教会を近代社会から信者たちを守る堅固な要塞としていたということに尽きます。トリエント公会議以降と同じ、いやそれ以上に締め付けが強化されていきました。
近代社会に至るまでの流れを育ててきた原動力は、@自由、A平等という理念と、B科学技術の発達、それに資本主義経済です。この@からBは現代社会の発展を支えている大きな柱です。ところが、この3つが社会の中に芽生え、育ち、互いに重なり合って、社会全体が大きく動き始めようとした時、教会は、弾圧する側に立ってしまいました。その排他的な決定的姿勢が、基本的には第Uバチカン公会議までの教会を支配し、それが神学を始めとするすべての信仰生活を覆っていたのです。この影響を信仰面で受けておられると、教会の教えと聖書のキリストの教えとの違いがわからず、福音それ自体もピンとこなくなってしまうでしょう。

この3つが形となって歴史の表に現れたとき、教会はどのようにそれを受け取り、反応し、歴代教皇が具体的にどのように対応したかは、次回で。

 
教会報第196号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

ミサ前提の教会\

実にキリストと出会い、自らの人生の福音として体験した人々の共同体=教会、それを支える命は人々の福音体験でした。前回に続きキリストの時代に生きたユダヤ人たちがどのような苦しみを背負っていたかをみてみましょう。

(3) 差別構造の重圧にあった人々

当時のユダヤ社会の至るところで差別が正当化されていました。人間一人一人が尊いと訴え続けるキリストの言動は、差別を肯定し正当化し続けてきたユダヤ社会の指導者たちの目には、社会の自由と安定を揺るがせる危険極まりない言動として映ったのです。ユダヤ社会の差別の基本にあるものが、選民意識に由来するものでした。その出発点は、アブラハムの選び。人々は、自分たちは神から直接選ばれたアブラハムの子孫の民であり、そのアブラハムにつながることによって、神の祝福に与ることができるという意識を生きており、そこから他の民族を蔑視する傾向が育ちます。マルコ福音書5章25節の12年間出血を患っていた女性の癒しのエピソードも、差別の視点から光を当てていくと、そこから鮮明なメッセージが伝わってきます。実に彼女の苦しみや、病との戦いだけではなく、不浄者として地域共同体から隔離され、孤独な状態に追いやられていたことがあったはずです。したがって、彼女の癒しは病の癒しということにとどまらず、共同体への復帰を意味したのです。同じことが重い皮膚病を患っていた人たちにも言えます。彼らの癒しは、地域共同体への復帰でもあったのです。
誰かの病を癒しがたいものとして判断し、隔離を命じるのは祭司たちの役目であり、指導者たちが、こうしたことで苦しむ人々を擁護するどころか、加害者としての役割を果たしていたということも見落としてはならないことです。また、特に福音書が、差別されていた人々とキリストとの出会いを通して、福音を伝えようとしていることも、涙すべきことです。例えば、新約聖書の冒頭に置かれて、キリスト誕生の神秘を明らかにするケースにおいては、罪ある女性たちが登場します。男性中心の家系図が一般的な社会にあって女性が系図の中に登場すること自体、珍しいことですが、故に、そこに登場する女性たちの全てが、マリアを除いて、罪に関わる女性たちです。 さらに、マタイ福音書2章1節で、生まれたばかりの救い主のもとに導かれたのは、東方の占い師の学者たちです。占い師は律法で厳しく断罪されていた存在です。そんな彼らが、誕生したばかりのキリストのもとに招かれていたのです。ルカ福音書では、キリストが誕生する場所は、ユダヤの教養がある人々からは蔑視されるような家畜小屋であり、そこに招かれていくのは、同じようにユダヤの一般社会のアウトサイダー的な存在であった羊飼いたちだったからですでした。イエスの最後の場面で、息を引き取った後にイエスが神の子であったと宣言するのは、ユダヤ人たちが軽蔑していたローマの百人隊長とその兵士たちです。(マタイ27・ 54) さらにまた、復活したキリストに最初に招かれたのも、女性たちです。実に、救い主としてのキリストとの出会いをした人が、キリストの誕生の瞬間から復活まで、差別され軽視されていた人々であったと伝える聖書の一貫した姿勢は、差別を疑いもせず容認し続けてきただけではなく、加害者ともなっていた当時のユダヤ社会に対する挑戦であったとも言えるのです。キリストは差別社会の中でがんじがらめにされて苦しみ続けていた人々に、真の自由と解放を与えたのです。







 

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講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
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(注:接続回線の状況によっては時間がかかる場合があります。)
 
日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
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日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
講演の記録はここをクリックしてください

 
日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
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日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
講演の記録はここをクリックしてください
 

 

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