現在のカトリック本所教会主任司祭

イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父
 

 
東京教区での渡邉泰男師の略歴

司祭叙階       2006年3月5日
     
目黒教会助任    2006年〜2009年       
 
豊四季教会助任  2009年〜2010年
豊四季教会主任  2010年〜2017年
 
本所教会主任    2017年4月〜

 


教会報第188号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

「ミサ前提の教会2」

 今月も引き続き教会(歴史)について書きましょう。そもそも司教(ポティフェックス)のもともとの意味は「橋をかける」という意味です。つまり神と人との仲介の役割を担っていたのです。ところが11世紀には、本来の苦しみの根拠にキリストが仲介するという視点から退き、万物の主催者として、土地に君臨し、天と地を仲介するという視点に軸足を移行してしまった。世界の秩序と調和の究極の当事者が主としてのキリストの役割であると強調しだすのです。もう随分、聖書にでてくるキリストとはちがってきてること、お分かりでしょう!
 したがって、聖職者たちの権力は強大化します。司教のシンボルである牧杖や、教皇に天国の門と地上の国の門を開く2つの鍵が与えられていることを強調します。ローマ帝国が滅亡し、ヨーロッパ社会は教皇を頂点とする形へと時代が変化していきます。現代の教皇、司教たちの振る舞いに王や貴族であるかのような雰囲気がにじみ出るのは、このような歴史的な背景があるからです。権威主義的な傾向のある信徒の方々はここがたまらないのかもしれませんが、キリストは違いますよ。
 そして、16世紀に宗教改革が起こり、これに対抗してトリエント公会議がカトリック教会で行われました。分裂の主な要因は教皇や高位聖職者らの腐敗堕落だったのです。教会を立て直し、刷新するために招集されたトリエント公会議で、聖職者の刷新が行われ、神学院制度(司祭の養成制度)が確立されます。その当時の司祭たちは神学教育をしっかり受けなくても、司祭になれていたんです。何よりも、当時の教会が打った手は教会全体の引き締めです。異端審問制度の強化や禁書目録の周知徹底によって、引き締めを強化します。つい最近まで、聖書を自由に読んではいけないと言われ育った信徒の方々もおられることでしょう。こうした一連の引き締めの中心は、教皇を中心としたバチカン省庁によって行われ、それまで地域の司教を中心として主体的に動いていた教会が、徐々に教皇をピラミッドの頂点とした中央集権的な体制に変わっていくのです。教皇、枢機卿、司教、 司祭、 修道者という教会内の序列が明確になり、信徒はその一番下に位置づけられ、「教えられ、導かれ、統治される立場」に置かれるようになっていきます。教会の中で、信徒たちが主体的に発言したり、行動したりすることが許されず、完全に受動的な立場に置かれるようになってしまうのも、この時期からです。今もって、現代社会にふさわしい関わりが信徒と司祭の間で育てられていないのは、トリエント公会議で確立した教会像、司祭像から、信徒も司祭も抜け切れていないためだろうと言えましょう。
 だからこそ、あの第二ヴァチカン公会議が行われ、聖書に戻ろう、初代教会に戻ろうとされたのです。この締め付けられた教会像、司祭像、信徒像からの解放が急務なことですが、それは案外と簡単なことかもしれないのです。日常の生活において、人との出会いを通して、キリストに出会うことを、おそれずに歩み起こしていけば、主キリストが必ず導き出して、その愛に包まれていることを体験させていただけるからです。でも、私たちの側が締め付けられた教会像、司祭像、信徒像に固守し、成長や変化を受け入れない壁のある生き方をしているとそうはいかないのも確かなことでしょう。

           では、今月はこの辺で。



教会報第187号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

「ミサ前提の教会1」

 今月から「典礼」について書く前に「教会」について書かなければなりません。「教会」というと、皆様は、建物、その中の様式などのことがまず頭に浮かぶのではないでしょうか。教会の初めは集会でした。福音体験をした人、復活したイエスに出会った人たちが集い、イエスの遺言であるミサを祝っていました。
ところで、基本的なところを確認しておきたいのですが、キリストに従う私たちにとって重要な事は、この日常で「キリストのことをいかに知るか」ということです。
キリストの生涯を動かしていた原動力は『これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない』(マタイ18・14)。これが、後に人間一人ひとりに対する限りない優しさ、つまり神の愛を示していきます。そして、イエスは『群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた』(マタイ9・36)。キリストは、この優しさに突き動かされます。だからキリストは、過酷な日々の生活の中で重荷を背負って、希望を見出せないままにもがき苦しむ人に寄り添っていくのです。そんなキリストの全身から触れ出てくる優しさに魅了され、その温かさに触れ包まれて生きる希望と喜びを見出した人たちの集まりが誕生します。これが教会の元です。そこから自ずと、その喜びを周りの人々に伝えていこうとするムーブメントが生まれます。つまり、福音宣教です。
ローマ帝国に支配され、当時、社会の底辺で人間としての尊厳を踏みにじられ、虐げられ、惨めな思いをしながら生きざるを得なかった人々が、新鮮で魅力あるムーブメントに出会います。それがあっという間に広大なローマ帝国内に広まるのです。
しかし、長い歴史の中で、教会は権威をまとい、権力を身に付け、難解な教義で自ら武装し、「小さな人々」が近づきがたい姿に変貌します。時にはキリストの心を歪め裏切るような行為をとったことを否定できないのです。でも、それほど外見が変貌しても、その根底にはキリストの心が受け継がれ、燃え続けていたのでしょう。そうでなければ、教会は歴史の中に埋没してしまったかも知れません。そんな時、ヨハネ23世が第二バチカン公会議を開催し、本来の教会の姿、つまり、キリストの心に忠実に歩むように改革をしました。教会の二千年の歴史を振り返り、過ちを真摯に認めたのです。皆さんは、その様な教会の歴史の大きな流れの中にいます。
では、もう少し詳しく見ましょう。教会はギリシャ語で「エクレジアス」といい、意味は「呼び出された者たちの集まり」です。一コリント書の初めには『コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。』(一コリント1・2)と記されています。ここで強調されているのは「教え」ではなく「キリストとの関わり」です。徴税人マタイやマグダラのマリアなど「キリストの名を呼び求める人々」を具体的に思い浮かべれば明らかでしょう。厳しい現実を生きた彼らがキリストに惹かれたのは、難しい理屈ではなく、人々の苦しみと重荷を背負おうとするキリストの柔らかな人柄そのものです。難しい理屈、つまり教義は彼らには無縁だったのです。キリストに出会い、キリストの存在から放射され照射されてくる柔らかで暖かな光に包まれて、彼らは生きるための力、光、希望を汲み取ったのです。教えが表に出てくるのは3世紀から4世紀になってからであり、16世紀に起きた宗教改革は、基本的には教会共同体の有り様についての教義上の対立で、分裂の元凶は教義へのこだわりでした。
また、誕生したばかりの共同体のまとめ役として「監督」(テモテ一3・1〜7)、ヤコブの手紙では「長老」(5・14)と呼ばれている人たちが生まれます。監督にせよ長老にせよ、その基本的な役割は共同体をまとめるもので、つまり広い意味での共同体の管理です。パウロは、テモテの手紙の中で、皆の中から信頼できる人物を選ぶように勧めています。ところが、しばらく経つと使徒たちによって按手された人々が現れます。この人たちは、福音宣教や奉仕活動に派遣されて行きました。例えば、ステファノなど7人が奉仕者として選ばれる時や、パウロとバルナバが異邦人の世界に派遣されるときに行なわれました。この按手の儀式が、後に助祭職や司教、司祭職に人々を任命する儀式の中心となっていったのです。もともとは貧しい人々への奉仕や宣教であり、共同体のまとめ役という任務ではなかったのです。ところが、彼らが徐々に地域の教会共同体に遣わされることによって、その共同体の中心になって行き、それまで監督や長老たちに委ねられていたまとめ役としての任務まで兼ねるようになって行きます。つまり、地域教会の管理まとめ役としての役割は、初代教会共同体の具体的な事情から課せられるようになったもので、もともとは司祭の役割にはなかったものなのです。
司祭として訳されている言葉、ラテン語では「サチェルドス」と言い、もともとの意味は「聖なるものを与える」ということです。「この世の世界から分け隔てられ、神だけに結ばれるもの」とか「欲望に汚されていないもの」という意味です。この「サチェルドス」の視点に立つと、司祭の役割は、一般社会の現実から離れたところに身を置き、神の世界と交わりながら、「聖なるものを人々に分かち与えること」ということになります。
旧約の世界では「聖」という視点が重要であった事は否定できません。「聖」に軸足を置いた神と人との関わり方を折ってしまったのがキリストです。キリストは、罪人と交わることを非難するパリサイ派の人々に『私が求めるのは、憐れみであっていけにえではない』(マタイ9・13)と、憐れみや愛に軸足を置いたメッセージを訴え続け、「聖」を強調して神と人との関わりを育てようとすることを拒絶したのです。当時の社会にあって、これは衝撃的なメッセージでした。キリストは聖なる神に軸足を置くパリサイ派の人々とは異なり、神は人をこよなく愛する憐れみそのものであるという神理解に支えられて、罪人たちの真っ只中に身を投じることを躊躇しなかったのです。従って、そのようなキリストが、自ら選び、派遣しようとする人たちに、聖であることを最も重要な条件として求めたとは考えられません。また、後のキリスト教はギリシア・ローマ社会に浸透し、徐々に信仰生活のアクセントが、主日に聖堂に集まって祈ったり、典礼にあずかったり、司祭たちの説教を聞いたりなどという地域の教会とその聖堂を中心としてするものに移って行きます。旧約の世界とは別の意味で聖が重要な要素になり、司祭たちにも聖であることが求められるようになっていったのです。
プラトン哲学の影響受けた4・5世紀の教会に、聖と俗という二元論が並べられるようになった歴史的背景も無視できません。プラトンは「身体は人間にとって牢獄である」という肉体を蔑視する世界観の持ち主です。こうした哲学の影響を受けて、この世の営みを蔑視する二元論が教会の中にも浸透していきます。これがキリスト教的な二元論となります。――神は純粋な霊であり、複雑な欲望はなく聖なるものである。肉に閉じ込められた人々が営むこの世界は『目の欲、肉の欲、生活のおごり』(ヨハネの手紙一2・16)によって汚されている。教会は聖なる神の国の門、入り口であり、その聖なる世界に近づくためには欲望を抑制し、聖となる必要がある――そうして、司祭たちは一般の人々とは別世界に住む人々になってしまいました。それは、本来キリストが求めたものではなかったのです。

今月は、この辺にしておきましょう。



教会報第185号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

今回は、前号で皆さんへの質問というか呼び掛けたものの1つ、「カトリック教会の持つ何とも言い難い平安の雰囲気に惹かれて、教会にお越しの方々もおられるでしょう」について書くことにします。
が、本所教会は東京教区の中でも非常に珍しい小教区です。長い間、お一人の主任司祭によって司牧されていたからです。それに本所白百合幼稚園の園長も兼ねておられました。ですから、教会周辺の方々にも「神父」という言葉が、これまた日本社会の中で珍しく通用している地域でもあります。
一般的に、「何とも言い難い平安の雰囲気に惹かれて」ミサを祝いに来られる皆さんに対しては、教会の典礼が大きく関わることになります。と同時に、受洗の勉強をされた時期にも関わります。また、何より大きな影響を与えるのは司祭です。その司祭が、教会のどの時期に神学校で学び、司祭としてどう生きて来られたかが大きく関わって来ます。そして、皆さんが、神との関係を、しっかりと主キリストを通し、教会をどう捉えているかという事も。

そこで、次回からカトリック教会の典礼について学ぶことにいたします。
改めて、お伺いします。皆さんは、本当にミサを通して喜びと希望を受け取られているでしょうか。ミサに欠かさず出ているなかで、新しさへの招きに与りながら自分が変えられている事を感じられているでしょうか。

実は、ある神学者によればミサの祝い方には3つの問題があると言われています。
@[ミサへの逃避]
特に日常生活と社会の様々な困難から、個人的で内的な世界、ミサの場所(教会)に逃げ込もうとする。
A[「祭壇の秘跡」(感謝の典礼)と「隣人愛の秘跡」の分離]
信心深く祭壇で行われる秘跡に参加しながら、それが兄弟姉妹の相互の交わりの秘跡であることを忘れてしまう。
B[精神安定剤としての利用]
色々な悩みや問題を抱えて、ミサを自分の心を落ち着かせるための助け、一種の安定剤として使う。
以前は、@やAみたいな時もあったような気がしませんか。Aのように、どこか、祭壇で行われる秘跡に参加していながら、それが兄弟姉妹の相互の交わりにまで達していなかったと感じることは無かったでしょうか。

これから、教会の歴史の中でどのように典礼が変わっていったのかを見ながら、私たちを新しさに招く主キリストの道を歩み起こせるようにしていきましょう。





教会報第184号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

前回は、母の看取りの体験を書きました。ところで、聖書には復活された主キリストのことは書いてありますが、主キリストの再臨までの間の居場所については詳しく書かれていません。私たちの信仰は、生きている人のためのものだからです。
そこで、皆さんへの質問です。
皆さんは、子供の頃、あるいは、大人になって、色々な仕方で主イエス・キリストに出会い、救われたり、解放された経験をされて教会にお越しのことでしょう。また、カトリック教会の持つ何とも言い難い平安の雰囲気に惹かれて、教会にお越しの方々もおられるでしょう。ここで、後者の方々については別の機会に書くことにして、前者の方々に向けて書かせていただきます。
日本の教会は、第二ヴァチカン公会議後2回にわたって福音宣教推進全国会議(NICE1、NICE2)を開き、話し合い、議論して、早25年の歳月が経とうとしています。つまり、大きな舵取りをして、「聖書に戻る、初代教会に戻る」という歩みに大きく変革した第二ヴァチカン公会議をうけて、具体的に日本の教会で問題視していたテーマ「信仰と日常生活の乖離」「家族」についての話し合いを全国規模で持ち、多くの方々が聖霊の促しをうけたように燃え上がっていた経験をしました。しかし、「家族」がテーマのNICE2では、司教様方の意見の一致を見ずにポシャってしまいました。つまり、多くのカトリック家庭や、カトリック信者のいる家庭内の様々な問題が明るみに出たために、その膿を出せずじまいになったのです。その後、日本の社会では家庭内暴力、親への殺人事件等の報道がなされました。教会でのNICE2の話し合いの結果出た問題は、正に日本社会への預言的な出来事であったと回想される方々もおられましょう――と言っても、全くチンプンカンプンの方々もおられましょう。
色々な仕方で、主イエス・キリストに出会い、救われたり、解放された経験をされて教会にお越しの方々。主キリストは、もっともっと私たちに救いと解放の体験をさせたいのです。主の弟子である私たちを、色々な現実の生活を通して、主キリストのように成長へと招きたいのです。そして、主は私たちに復活のいのちをも保証されておられるのです。でも「主よ、主よ」という者が天国に入れるのではありません。神のみこころを行う者が入れるのです。それは、私たちが、それぞれに与えられた信徒としての召命に応えることなのです。しかし、私たちは罪人であり、自分の嗜好で時として善悪判断をしてしまいがちです。古い自分に執着し、大きな変化を拒み、主の招きに応えようともせずにいるのではないでしょうか。
今こそ、主への道へ、歩みを起こしてまいりましょう。



 

教会報第183号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

初めまして、加藤神父が大変お世話いただき、岡田大司教に代わり、御礼申し上げます。岡田大司教から叙階の秘跡を受けた岡田チルドレンとして、下町宣教協力体の本所聖堂共同体の主任司祭として任命を受け、東京教区の優先課題の遂行に努める所存です。が、私は現在、日本カトリック部落差別人権委員会担当司教秘書とし、日本カトリック社会司教委員会のいち秘書として、また、東京教区ボランティアセンター(CTVC)運営委員会としても任命を受けておりますので、以前の神父様達とは全く新種のものでありますので、皆さまの忍耐とともにご容赦いただくことを、少なくとも三年間お願い申し上げます。

 そこで、私が3月4日土曜日の午後に母の看取りの貴重な体験をお伝えします。母が旅立つ約1時間前、高速道路がガラガラで、吸い込まれるように流山市から杉並区の母のいる特養の施設に行きました。ちょうど着いた時、看護師の方が危篤の電話をする時で、そのとき、やっと私は母の死という出来事に直面させられ、覚悟させられました。母は口を大きく開けて目をつぶって大きな呼吸をしていました。「息子さん、お母さんに声をかけて下さい」という看護師に促され、涙をこらえ、「泰男がきましたよ」なんて言えませんでした。やっと発したことばが、「渡邉神父、来ましたよ」と。私にとって精一杯の声かけでした。母は目を開き私を見つめ、微笑みを浮かべながら、また目をつぶって大きな呼吸を続けました。最初、意味不明なことばを言って、私には聞き取れませんでした。私が手を握りながら、「病者の塗油」を授けたのちに、「わからない」「わからない」ということばを何度となく繰り返し、うわごとのように発していました。天国がわからないのか、旅立ちの道がわからないのか、その真意は私にもよくわかりません。が、既に旅立って行っている父や、母の叔母の名前を呼んで、そっちに行ったら、「よろしくって伝えて」と大きな涙声でいうと、そのうわごとは収まり、大きな口を開きながら、最後の力を絞って息をしてました。逝くちょっと前に二回ぐらい眉をひそめました。あっ最後の「受難と十字架」かなと思い、私が「ちょっと頑張れ」と伝えると、それから呼吸がだんだんと小さくなり、息を引き取りました。「神のもとに旅立ったなあ」と思った瞬間です。そして、徐々に顔つきが寝ているようになっていきました。
 多分、私たちが旅立つとき、意識はなくても周囲の声はわかるようです。私たちは聖書を通して「復活」の出来事を信じ、そこに大いなる希望を抱いて生きて行きます。でも、本当はわからないのかもしれません。が、生きている時に、復活されたキリストに出会い、また人を通してキリストと出会い、日常の出来事を通して真に主キリストと出会いを深めたいものです。

   そこで、宣教論には「種まき論」と「刈り取り論」という二種類の考え方があります。伝統的に教会は「種まき論」を奨励します。が、ヨハネ福音書は、刈り取り論です。つまり、主キリストが受難・十字架を通して、復活された出来事によって、神の救いの偉業が行なわれたのです。その大いなる働き、つまり人類救済の業は、ビックバンで宇宙が出来上がりつつ膨張しているように、現在もこの地上でこの業は広がり働いています。それが善人にも悪人にもです。信者であろうがなかろうがです。私たちキリストの弟子にとって、その働きに接し遭遇した体験が、主キリストが復活のあかしになるのです。日常生活で、どう考えてもありえない出来事、ありえない出会い、ありえないことを、主の仕業、いや、主キリストの働きと感じられるようになりたいものです。ですので、福音に反しないかぎり、皆様がおやりになりたいことをおやりになって下さい。主のお望みなら、大いなる実りを体験するからです。しかし、今までおやりになってきて実りがないのなら、主のお望みでなく、あなた方人間の望みであり、執着を捨て、十字架にかかってその思いに死ななければならないでしょう。


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講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
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(注:接続回線の状況によっては時間がかかる場合があります。)
 
日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
講演の記録はここをクリックしてください
 

日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
講演の記録はここをクリックしてください

 
日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
講演の記録はここをクリックしてください
 
日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
講演の記録はここをクリックしてください
 

 

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