現在のカトリック本所教会主任司祭

イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父
 

 
東京教区での渡邉泰男師の略歴

司祭叙階       2006年3月5日
     
目黒教会助任    2006年〜2009年       
 
豊四季教会助任  2009年〜2010年
豊四季教会主任  2010年〜2017年
 
本所教会主任    2017年4月〜

 


教会報第184号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

前回は、母の看取りの体験を書きました。ところで、聖書には復活された主キリストのことは書いてありますが、主キリストの再臨までの間の居場所については詳しく書かれていません。私たちの信仰は、生きている人のためのものだからです。
そこで、皆さんへの質問です。
皆さんは、子供の頃、あるいは、大人になって、色々な仕方で主イエス・キリストに出会い、救われたり、解放された経験をされて教会にお越しのことでしょう。また、カトリック教会の持つ何とも言い難い平安の雰囲気に惹かれて、教会にお越しの方々もおられるでしょう。ここで、後者の方々については別の機会に書くことにして、前者の方々に向けて書かせていただきます。
日本の教会は、第二ヴァチカン公会議後2回にわたって福音宣教推進全国会議(NICE1、NICE2)を開き、話し合い、議論して、早25年の歳月が経とうとしています。つまり、大きな舵取りをして、「聖書に戻る、初代教会に戻る」という歩みに大きく変革した第二ヴァチカン公会議をうけて、具体的に日本の教会で問題視していたテーマ「信仰と日常生活の乖離」「家族」についての話し合いを全国規模で持ち、多くの方々が聖霊の促しをうけたように燃え上がっていた経験をしました。しかし、「家族」がテーマのNICE2では、司教様方の意見の一致を見ずにポシャってしまいました。つまり、多くのカトリック家庭や、カトリック信者のいる家庭内の様々な問題が明るみに出たために、その膿を出せずじまいになったのです。その後、日本の社会では家庭内暴力、親への殺人事件等の報道がなされました。教会でのNICE2の話し合いの結果出た問題は、正に日本社会への預言的な出来事であったと回想される方々もおられましょう――と言っても、全くチンプンカンプンの方々もおられましょう。
色々な仕方で、主イエス・キリストに出会い、救われたり、解放された経験をされて教会にお越しの方々。主キリストは、もっともっと私たちに救いと解放の体験をさせたいのです。主の弟子である私たちを、色々な現実の生活を通して、主キリストのように成長へと招きたいのです。そして、主は私たちに復活のいのちをも保証されておられるのです。でも「主よ、主よ」という者が天国に入れるのではありません。神のみこころを行う者が入れるのです。それは、私たちが、それぞれに与えられた信徒としての召命に応えることなのです。しかし、私たちは罪人であり、自分の嗜好で時として善悪判断をしてしまいがちです。古い自分に執着し、大きな変化を拒み、主の招きに応えようともせずにいるのではないでしょうか。
今こそ、主への道へ、歩みを起こしてまいりましょう。


 

教会報第183号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

初めまして、加藤神父が大変お世話いただき、岡田大司教に代わり、御礼申し上げます。岡田大司教から叙階の秘跡を受けた岡田チルドレンとして、下町宣教協力体の本所聖堂共同体の主任司祭として任命を受け、東京教区の優先課題の遂行に努める所存です。が、私は現在、日本カトリック部落差別人権委員会担当司教秘書とし、日本カトリック社会司教委員会のいち秘書として、また、東京教区ボランティアセンター(CTVC)運営委員会としても任命を受けておりますので、以前の神父様達とは全く新種のものでありますので、皆さまの忍耐とともにご容赦いただくことを、少なくとも三年間お願い申し上げます。

 そこで、私が3月4日土曜日の午後に母の看取りの貴重な体験をお伝えします。母が旅立つ約1時間前、高速道路がガラガラで、吸い込まれるように流山市から杉並区の母のいる特養の施設に行きました。ちょうど着いた時、看護師の方が危篤の電話をする時で、そのとき、やっと私は母の死という出来事に直面させられ、覚悟させられました。母は口を大きく開けて目をつぶって大きな呼吸をしていました。「息子さん、お母さんに声をかけて下さい」という看護師に促され、涙をこらえ、「泰男がきましたよ」なんて言えませんでした。やっと発したことばが、「渡邉神父、来ましたよ」と。私にとって精一杯の声かけでした。母は目を開き私を見つめ、微笑みを浮かべながら、また目をつぶって大きな呼吸を続けました。最初、意味不明なことばを言って、私には聞き取れませんでした。私が手を握りながら、「病者の塗油」を授けたのちに、「わからない」「わからない」ということばを何度となく繰り返し、うわごとのように発していました。天国がわからないのか、旅立ちの道がわからないのか、その真意は私にもよくわかりません。が、既に旅立って行っている父や、母の叔母の名前を呼んで、そっちに行ったら、「よろしくって伝えて」と大きな涙声でいうと、そのうわごとは収まり、大きな口を開きながら、最後の力を絞って息をしてました。逝くちょっと前に二回ぐらい眉をひそめました。あっ最後の「受難と十字架」かなと思い、私が「ちょっと頑張れ」と伝えると、それから呼吸がだんだんと小さくなり、息を引き取りました。「神のもとに旅立ったなあ」と思った瞬間です。そして、徐々に顔つきが寝ているようになっていきました。
 多分、私たちが旅立つとき、意識はなくても周囲の声はわかるようです。私たちは聖書を通して「復活」の出来事を信じ、そこに大いなる希望を抱いて生きて行きます。でも、本当はわからないのかもしれません。が、生きている時に、復活されたキリストに出会い、また人を通してキリストと出会い、日常の出来事を通して真に主キリストと出会いを深めたいものです。

   そこで、宣教論には「種まき論」と「刈り取り論」という二種類の考え方があります。伝統的に教会は「種まき論」を奨励します。が、ヨハネ福音書は、刈り取り論です。つまり、主キリストが受難・十字架を通して、復活された出来事によって、神の救いの偉業が行なわれたのです。その大いなる働き、つまり人類救済の業は、ビックバンで宇宙が出来上がりつつ膨張しているように、現在もこの地上でこの業は広がり働いています。それが善人にも悪人にもです。信者であろうがなかろうがです。私たちキリストの弟子にとって、その働きに接し遭遇した体験が、主キリストが復活のあかしになるのです。日常生活で、どう考えてもありえない出来事、ありえない出会い、ありえないことを、主の仕業、いや、主キリストの働きと感じられるようになりたいものです。ですので、福音に反しないかぎり、皆様がおやりになりたいことをおやりになって下さい。主のお望みなら、大いなる実りを体験するからです。しかし、今までおやりになってきて実りがないのなら、主のお望みでなく、あなた方人間の望みであり、執着を捨て、十字架にかかってその思いに死ななければならないでしょう。


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講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
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日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
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日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
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日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
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日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
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