教会報第188号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父

  


「ミサ前提の教会2」

 今月も引き続き教会(歴史)について書きましょう。そもそも司教(ポティフェックス)のもともとの意味は「橋をかける」という意味です。つまり神と人との仲介の役割を担っていたのです。ところが11世紀には、本来の苦しみの根拠にキリストが仲介するという視点から退き、万物の主催者として、土地に君臨し、天と地を仲介するという視点に軸足を移行してしまった。世界の秩序と調和の究極の当事者が主としてのキリストの役割であると強調しだすのです。もう随分、聖書にでてくるキリストとはちがってきてること、お分かりでしょう!
 したがって、聖職者たちの権力は強大化します。司教のシンボルである牧杖や、教皇に天国の門と地上の国の門を開く2つの鍵が与えられていることを強調します。ローマ帝国が滅亡し、ヨーロッパ社会は教皇を頂点とする形へと時代が変化していきます。現代の教皇、司教たちの振る舞いに王や貴族であるかのような雰囲気がにじみ出るのは、このような歴史的な背景があるからです。権威主義的な傾向のある信徒の方々はここがたまらないのかもしれませんが、キリストは違いますよ。
 そして、16世紀に宗教改革が起こり、これに対抗してトリエント公会議がカトリック教会で行われました。分裂の主な要因は教皇や高位聖職者らの腐敗堕落だったのです。教会を立て直し、刷新するために招集されたトリエント公会議で、聖職者の刷新が行われ、神学院制度(司祭の養成制度)が確立されます。その当時の司祭たちは神学教育をしっかり受けなくても、司祭になれていたんです。何よりも、当時の教会が打った手は教会全体の引き締めです。異端審問制度の強化や禁書目録の周知徹底によって、引き締めを強化します。つい最近まで、聖書を自由に読んではいけないと言われ育った信徒の方々もおられることでしょう。こうした一連の引き締めの中心は、教皇を中心としたバチカン省庁によって行われ、それまで地域の司教を中心として主体的に動いていた教会が、徐々に教皇をピラミッドの頂点とした中央集権的な体制に変わっていくのです。教皇、枢機卿、司教、 司祭、 修道者という教会内の序列が明確になり、信徒はその一番下に位置づけられ、「教えられ、導かれ、統治される立場」に置かれるようになっていきます。教会の中で、信徒たちが主体的に発言したり、行動したりすることが許されず、完全に受動的な立場に置かれるようになってしまうのも、この時期からです。今もって、現代社会にふさわしい関わりが信徒と司祭の間で育てられていないのは、トリエント公会議で確立した教会像、司祭像から、信徒も司祭も抜け切れていないためだろうと言えましょう。
 だからこそ、あの第二ヴァチカン公会議が行われ、聖書に戻ろう、初代教会に戻ろうとされたのです。この締め付けられた教会像、司祭像、信徒像からの解放が急務なことですが、それは案外と簡単なことかもしれないのです。日常の生活において、人との出会いを通して、キリストに出会うことを、おそれずに歩み起こしていけば、主キリストが必ず導き出して、その愛に包まれていることを体験させていただけるからです。でも、私たちの側が締め付けられた教会像、司祭像、信徒像に固守し、成長や変化を受け入れない壁のある生き方をしているとそうはいかないのも確かなことでしょう。

           では、今月はこの辺で。



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