ミサ前提の教会Ⅷ
実にキリストと出会い、自らの人生の福音として体験した人々の共同体=教会、それを支える命は人々の福音体験でした。前回に続きキリストの時代に生きたユダヤ人たちがどのような苦しみを背負っていたかをみてみましょう。
(2) 暴虐と不正に満ちた支配に苦しみ続けてきた人々
こうした歴史的な背景のうちに人々に与えられた福音が、ピラミッド型の統治の権力構造のもとで抑圧されていた人々が見出したものであったことを見落としてはならない。当時の社会はどこでも同じような構造をとっていた。人口の数%にしかならない権力者たちを中心に構成されており、その頂点に立つのは、ローマ皇帝、そして王たちである。その人に彼らの意のままに動く官僚たちや兵士たちがおり、そのさら下に、ユダヤ社会の分国王、大祭司、長老、律法学者たちがいた。人口の大半を占めていたのが農作に従事する農民や小作人たち。キリストの時代には全人口の70%近くを占めていたと言われる。彼らの大半は地主たちのために働かされ、重い税を課せられた。通常は15%から35%、多いときには50%もとられたという記録が残っている。
権力者たちは自分たちの利益を追求し権力を拡大することには敏感で、それを危うくする者たちに対しては残酷であった。弱い立場にある人々が、どれ程ひどい目にあっていたかを精査することができる。どこか現代社会に通じる経済優先社会のようでもあろう。
「彼らが正しい答えを金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。彼らは弱いものの頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。親も子も同じ女のもとに通い、私の聖なる名を汚している。祭壇のあるところではどこでも、その傍らに私にとっては衣を広げ、過料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいる」アモス2.6-8
「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい/互いに網で捕らえようとする。彼らの手は悪事にたけ/役人も裁判官も報酬を目当てとし/名士も私欲をもって語る。しかも、彼らはそれを包み隠す。彼らの中の最善の者も茨のようであり/正しい者も茨の垣に劣る。お前の見張りの者が告げる日/お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる。」ミカ7.2-4
「どうして、あなたはわたしに災いを見させ/労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり/争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。」ハバクク1・3
「彼らは来て、皆、暴虐を行う。どの顔も前方に向き/砂を集めるようにとりこを集める。」ハバクク1・9
ここに出てくる権力者たちとは、祭司、裁判官、地主、高利貸しなどで、弱い立場にある人々は、こうした人々の欲望のままに操られ、利用され、時として踏みつぶされ、多くの人々は、なすすべもなく泣いていた。
キリストが登場した時代も、同じような状態で、実に愛と正義が通用せず、暴虐と不正が幅をきかす社会の中に、キリストが登場し、一人ひとりの尊さを訴えたのです。
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。」マタイ18-6
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」マタイ18・10
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」マタイ18・14
一人ひとりの人間の絶対的な尊厳を訴えるキリストの言葉は、虐げられていた人々にとっては、鮮明に響いたに違いない。荒野の中でオアシスを見出したような感動と喜びを受けたでしょう。また 弟子たちを論したイエスの言葉も、権力者たちの意のままに砂粒のように踏みつぶされていた当時の人々には新鮮だった!!
「そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」」マルコ10・42- 44
キリストの言葉は、当時の権力者や支配者たちの姿勢とは正反対の生き方を呼びかける。キリストの生き様は、権力者たちや支配者たちによって搾取され続けてきた人々には、何よりも福音であったに違いない。