「年間第16主日」(A年) 説教
2011年7月17日・加藤 英雄師

 

イエスは言われます。天の国は次のようにたとえられる。ある人が畑に種を蒔いた。あっ、そうかと思いました。天の国は畑に種を蒔かれる時から始まっているんだ。この土地に種を蒔きなさい。はい。熱心に種を蒔く。神様から与えられた役割、神様のために働く。蒔かれた種から芽が出る。成長する。そのときが天の国の始まりです。神様からいただいた種を蒔いたのに、成長してくると毒麦が現われた。そんなことはあってはならない。地に蒔かれ、光と水、そして土地の力によって芽が出る、成長する。神様の恵みの内に実を結ぶ。それなのに、なぜ毒麦が現われるのですか。主人は言う。それは敵の仕業だ。敵によって、欲求、欲望の力によって、快楽、心地好さによって毒麦になって行くのだ。今刈り取ってはならない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。
この話を聞いたとき、エゼキエル書を思い浮かべました。 主なる神は言われます。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。 悪人に向かって、わたしが「お前は必ず死ぬ」と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、……悪人でも、悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、それゆえに彼は生きる。(エゼキエル33・11-)

天の国が目の前に来ている。悪を行った、罪のうちにいる。しかし、わたしたちは神様の恵みの内にいる。神様、赦してください。 犯した悪を見つめなさい。自分を見つめなさい。悔い改めなさい。神様を見つめなさい。そして、恵みの業を行いなさい。天の国は神様の温かさを感じるところ。柔らかく、しかし、強く包まれるところ。光の国。いのちの国。(赦しの秘跡)

しかし、イエスは言われます。人の子は、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませる。

神様に全く心を留めない者、耳を傾けようとしない者、自分の世界を造り、欲求の内に楽しみ、隣人に扉を開こうとしない者は焼かれてしまう。

わたしたちはキリストに出会っている。今、天の国が始まっている。今が天の国の出発点です。しかし、待ってください。わたしたちは、まだまだ罪の誘惑の内にいる。悔い改めます。そして、隣人に心をかけます。悪人も隣人。声をかけます。もっと、より深く、神様を知る事が出来ますように。

 


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