「年間第33主日」(A年) 説教
2011年11月13日・加藤 英雄師

 

  有能な人を夫、妻として選びなさい。有能な妻は夫に損害をもたらさない。妻は夫のために働き、夫は心から妻に信頼する。その妻は真珠のように、いや、真珠以上に輝く者。夫のために働くのと同じように、貧しい人、乏しい人に手を伸べる。妻は主を畏れる人。妻は知恵。妻には実りがある。
知恵のもたらすものに災いがない。たとえそれが災いのように見えても、その災いを乗り越えた時、より大きな喜びが生まれる。有能な夫、妻を見い出す者は誰か。姿形、顔のよさで選んでいないか。その人の求めているもの、その人が大切にしているものによって、信仰によって、その人を夫、妻とする。夫、妻になってもらうのではないですか。あでやかさは欺き、美しさは空しいといわれている。知恵は外側を見ない。内側を見る。内に詰まっているものは何か。その内にあるものは何を大切にしているのか。内は何を求めているのか。そして、知恵は信仰によって働いていることを忘れてはいけない。その人は、知恵はいつも主を見ている。

知恵は心を動かします。知恵の働きを心に止め、知恵のことを思いながら福音を読みます。 主の日が来るという事を忘れてはいけない。主の日、終末についてイエスは語られる。しかし、終末は終わりではない。歴史の終結であるかも知れないが、終わりは出発、天の国への出発です。ふと思いました。終末の生活をしている者に天の国が見える。清さを求めている者、隣人のために祈り、働いている者。自分を捨て、自分に与えられた十字架を背負って歩いている者。その者が天の国が見える。 イエスは天の国をたとえで告げられます。 人は皆、主人から、主から財産を預かっている。お前たちに与えているこの大きな財産の世話をしなさい。それぞれ人によって預かっているその大きさが違う。神様の恵みが違うのかなと思います。大きな恵みに預かっている者は、神様からたくさん恵みをいただいている者は余計働かなくてはいけない。能力のある人は貰っている力の分まで働かなくてはいけないのです。こんな言葉を思い出しました。この世の子らは光の子よりも賢く振舞っている。(ルカ16・8)

主がわたしたち一人ひとりに預けておられる金額はとてつもなく大きいものです。五タラントン、二タラントン、一タラントン。一タラントンは6000デナリオンです。一デナリオンは一人分の日給といわれています。一デナリオンを一万円とすると一タラントンは6000万円です。16.4年分の金額ぐらいです。二タラントンは一億2000万年、五タラントンは三億円です。
僕よ、あなたたちに与えているこのわたしの財産の世話をしなさい。僕たちは出て行って、働いた。かなり日がたってから、主人が帰ってきた。五タラントン預かった者は五タラントン儲けた。二タラントン預かった者は二タラントン儲けた。主人はそれぞれを喜んだ。忠実な良い僕だ。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。しかし、一タラントン預かった者は出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。主人はこれを怒った。
主人から任された財産とはどういうものだったのでしょうか。生きる命の糧を預かったのだと思います。人を生かす力。自然を生かす力です。見えるものとしてお金、見えない力として能力があると思います。正義のために働く力、貧しい人、苦しんでいる人のために働く力、そのために提供するものです。主人から、主から任された財産とは生きる力、生かす力です。貰ったものをしまっておく、しまっておいたら働かない。物が動かなければ生きるものにならない。生きるためのものが死んでしまう。お前は何と言う事をしたのか。
あなたは厳しい方です。蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる方。恐ろしくなりあなたから任されたお金を地の中に隠しました。あなたにとってわたしは奪う者か。神様は悪を罰する方か。土の中に籠もっている者か。そうではない、わたしは与えるもの。命を与え、喜びを与えるものではないか。 閉じこもってはいけない。出て行きなさい。人とつながって生きる。真理と言う部屋、聖書、祈りと言う部屋に閉じこもってはいけない。

与える者になりなさい。豊かな生活とは与えることの出来る生活です。天の国とはイエスと一緒に歩く道にある、イエスと一緒に働くところです。イエスと一緒にいる所が天の国です。

主人が帰ってきた時。それは主人の前に出る日です。あなたは何を預かっていましたかと問われます。「預かったもの」が主から示されている道です。



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