「復活節第4主日」(C年)説教
2013年4月21日・加藤 英雄師


 

   イエスは言われます。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしはいつも羊に声をかけている。羊に行くべき道を示している。わたしは苦しんでいる羊を慰める。励ましている、光を与えている。わたしの羊はわたしの声を聞く。わたしを求める者はわたしに耳を傾ける。わたしを聞き入れる。わたしの羊はわたしを知っている。聞くとは言葉を聞いているのではありません。聞き入れるのです。聞き入れるとは従うことです。わたしは羊を知っている。羊もわたしを知っている。聞き入れる、従う、そして、知っている。これらの言葉はつながりを示しているように思うのです。知っているというつながりは、丁度、赤ちゃんとお母さんのつながりです。赤ちゃんはお母さんの胸の中でゆったりと時を過ごしている。赤ちゃんが笑う。ほかの誰かが、その赤ちゃんを抱こうとすると、急に泣き始める。そこはわたしの場所ではない。 お母さんは赤ちゃん、子供を何よりも大切にしている。一方、赤ちゃんは体全体がお母さんの中に生きている。お母さんの感情が伝わっている、いや、お母さんの感情が赤ちゃんの感情なのです。お母さんがいなければ赤ちゃんに何も伝わらない。子は母とつながっている。母は子とつながっている。一体であるようにつながっている。 羊飼いと羊の関係はお母さんと赤ちゃんです。 羊は何も知りません。羊は教えなければ食べ物を探すことが出来ません。水の場所を知りません。安心して眠ることが出来ません。羊飼い、指導者が羊を包むように導くのです。
羊は人。人は食べることは知っていると思っている。しかし、野菜、穀物は肥料によって育ち、化学薬品によって、腐らないようにしている。おいしくなるように工夫している。わたしたちは自然のものを食べていないのではないですか。食べ物は体を造るためだけではない。心を造る食べ物を食べるのです。 人は心を造る食べ物を求めなかった。 イエスは言われます。わたしは父から人を与えられた。父が下さったものは何よりも尊い。父は人を愛されている。父が愛されているように、わたしも人を愛します。父と子が人を愛する。聖霊が人を包むのです。神様が人を愛するとは聖霊が人を包んでいるのです。
主イエスがこの世を去った。しかし、弟子たちは復活したイエスに出会った。弟子たちはイエスは永遠のいのちに生きていることを知っている。そして、人は皆、イエスによって永遠のいのちに招かれていることを知ったのです。イエスに示されたそれぞれの道を歩む。御心を、御言葉を求めます。そして、律法を思い巡らします。神様の恵みの下に律法はあるのです。まず、神様の恵みに感謝します。人々に神を語るとは律法の心を語るのではない。律法の解釈を語るのではない。神様が今も働いておられる、神様が今もわたしたちに声をかけておられる、神様の恵みを語るのです。 イスラエルの人たち、神様の言葉はまず、あなたたちに語られるはずなのに、あなたたちはそれを拒んだのです。神様に心を開かない。神様を聴こうとしない。自分自身を永遠にいのちに値しないものとしている。神様から離れてはいけません。ペトロ、バルナバは勇敢に言います。わたしたちは異邦人の方に行きます。異邦人は神様と出会ったことのない人たち、神様を知らない人たちです。異邦人が神様の尊がを聞く。神様の御心を知る。異邦人は光を見る。温かさを知る。異邦人はこれを聞いて喜んだ。神様を信じて、新しく生まれ、新しい道を歩むことが出来る。


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