2013年度加藤神父の説教

 

「年間第33主日」(C年)
2013年11月17日
「年間第32主日」(C年)
2013年11月10日
「年間第31主日」(C年)
2013年11月03日
「年間第30主日」(C年)
2013年10月27日
「年間第29主日」(C年)
2013年10月20日
「年間第28主日」(C年)
2013年10月13日
「年間第27主日」(C年)
2013年10月6日
「年間第26主日」(C年)
2013年9月29日
「年間第25主日」(C年)
2013年9月22日
「年間第24主日」(C年)
2013年9月15日
「年間第23主日」(C年)
2013年9月8日
「年間第22主日」(C年)
2013年9月1日
「年間第21主日」(C年)
2013年8月25日
「年間第20主日」(C年)
2013年8月18日
「聖母の被昇天」(C年)
2013年8月15日
「年間第19主日」(C年)
2013年8月11日
「年間第18主日」(C年)
2013年8月4日
「年間第17主日」(C年)
2013年7月28日
「年間第16主日」(C年)
2013年7月21日
「年間第15主日」(C年)
2013年7月14日
「年間第14主日」(C年)
2013年7月7日
「年間第13主日」(C年)
2013年6月30日
「年間第12主日」(C年)
2013年6月23日
「年間第11主日」(C年)
2013年6月16日
「年間第10主日」(C年)
2013年6月9日
「キリストの聖体」(C年)
2013年6月2日
「三位一体の主日」(C年)
2013年5月26日
「聖霊降臨の主日」(C年)
2013年5月19日
「主の昇天」(C年)
2013年5月12日
「復活節第6主日」(C年)
2013年5月5日
「復活節第5主日」(C年)
2013年4月28日
「復活節第4主日」(C年)
2013年4月21日
「復活節第3主日」(C年)
2013年4月14日
「復活節第2主日」(C年)
2013年4月7日
「復活の主日」(C年)
2013年3月31日
「受難の主日」(C年)
2013年3月24日
「四旬節第5主日」(C年)
2013年3月17日
「四旬節第4主日」(C年)
2013年3月10日
「四旬節第3主日」(C年)
2013年3月3日
「四旬節第2主日」(C年)
2013年2月24日
「四旬節第1主日」(C年)
2013年2月17日
「年間第5主日」(C年)
2013年2月10日
「日本二十六聖人」(C年)
2013年2月3日
「年間第2主日」(C年)
2013年1月20日
「主の洗礼」(C年)
2013年1月13日
「主の公現」(C年)
2013年1月6日
「聖家族」(C年)
2012年12月30日
「主の降誕」(日中のミサ)
2012年12月25日
「主の降誕」(夜半のミサ)
2012年12月25日
「主の降誕」(子どもミサ)
2012年12月25日
「待降節第4主日」(C年)
2012年12月23日
「待降節第3主日」(C年)
2012年12月16日
「王であるキリスト」(C年)説教
2013年11月24日・加藤 英雄師

   今日、年間最後の主日に「王であるキリスト」を思い巡らします。神様はキリストが王です、キリストを見つめなさいと、キリストを送ってくださったのです。キリストは神の国の王です。あなたにとって神の国はどのような有様ですか。キリストは王。王に何を求めますか。
 イエスはエルサレムへの道を歩みました。エルサレムに近づいた時、都が見えました、神殿が見えた時、イエスは泣かれました(ルカ19・41~)。 人々はイエスに神の力を見ていました。イエスは毎日、人々に神を語ります。神様の慈しみ、喜び、温かさー神様の恵みが人々を包んでいます、神様を見つめましょうと語ります。人々の心にイエスの言葉が深く入って来ます。また、病を癒し、悪霊を追い出します。イエスこそ神の力を示しています。 イエスの集団は小さい、しかし、イエスは力のある預言者。神様のもとに働いています。イエスに万軍の主がついています。イエスがエルサレムで力を示せば、その時から神の国が始まります。人々はイエスに神の国の王を見ています。
 イエスは嘆きます。涙を流します。 エルサレムに平和が訪れる。神殿にまことの信仰が現れる。敵が来て、エルサレム、お前は四方から攻められる。お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。神殿が石の残らないほど崩される。神殿が信仰の場。信仰が積み上げられて神殿となる。信仰の石が一つも残らない。
  イエスはご自身が神殿となるため、人の罪を贖うために、献げものとなるためににエルサレムに行くのです。イエスによってエルサレムが愛の場となるのです。
 ローマはイエスを捕えた。十字架を背負わせ、人々の前を歩かせた。ゴルゴタへ向かう。ゴルゴタで十字架に釘付けされる。イエスが十字架にかけられた。十字架の上に札が掲げられている。「これはユダヤ人の王。」これがお前たちの王である。イエスは十字架の上で苦しんで殺されました。イエスは神の国を立てる力のない事を人々は見たのです。
 民衆は十字架にかけられているイエスを見つめている。議員たちはイエスをあざ笑う。兵士たちはイエスを侮辱する。イエスと一緒に十字架にかけられている犯罪人の一人がイエスを罵る。神からのメシアなら、自分を救ってみろ。我々を救え。出来ないのか。十字架にかけられているもう一人の犯罪人がその者に言う。我々は自分の行いの刑罰として、この十字架にかかっている。この方は何の罪も犯していない。「イエス様、あなたが御国においでになる時には、わたしを思い出してください。」イエスは言われる。「アーメン。あなたは今日、わたしと共に楽園にいる。」 この犯罪人は、この時、人々の語っているイエスを見たのです。彼の目はイエスから離れない。静かに十字架にかかっている。十字架の上で祈っている。その姿は尊い姿。全く、人の物を奪うような形相(ぎょうそう)ではない。その姿に見入る。もう一人の犯罪人はイエスとつながりたかった。
 民衆は、罪の償いとして苦しんでいる、この世の力に負けた十字架のイエスを見た。議員、兵士たちも、何の力もないちっぽけなイエスを見た。
 敵によってエルサレムは滅ぼされる。神殿は壊される。信仰は崩れる。イエスと出会った者は三日で新しい神殿を見る。新しいエルサレムを見る。この世を超えた時、神様のみ手が見える。神の国が見える。求める者に与え、この世の物を失った時、神様の喜びに出会う。与え、与え、与え続けられたイエスが王。与える者が神の国を造っている。与えて、何もなくなった時、神様のいのちが注がれる。光に満たされる。
 イエスの姿を見続けて行きたい、イエスに従って歩みます。

 

 

 


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