「キリストの聖体」(C年)説教
2013年6月2日・加藤 英雄師


 

  イエスの周りに群衆が集まっています。イエスの話を聞きたい。イエスに安心がある。希望がある。イエスは集まっている人々に、神の国について語っています。病を癒しています。  神の国は喜びの場です。皆が生き生きと、生きています。支えられ、支え合って生きている。支えられて生きていることを感謝します。支えられているだけではいけません、支える者になるのです。「支える」は「与える」ことです。与えなさい。与えなさいと言われても、何も持っていません。何も与えらません。目の前に苦しくて、あなたに求めている人がいたらどうしますか。何も持っていない。その時、その人と一緒に祈りなさい。その人の語る話をどこまでも聞きなさい。微笑みを忘れず聞きなさい。与える者になる。聞く者になるのです。わたしたちは大切なものを持っています。神の国では、生きる喜び、働く喜びが湧きます。隣人が見える、自然が見える、神様が見えます。神の国は神様の思いやりに包まれているのです。イエスは言われます。「神の国へ向かって、一緒に歩き始めましょう。」  日が暮れてきました。ここは人里離れた所です。弟子たちは心配しました。皆、食事をしたいでしょう。ここには何もない。「イエス様、群衆を解散させてください。皆が、ここを離れ自由に宿をとり、食べ物を得るでしょう。」イエスは言います。「この人たちをほっとくのですか。あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは思います。食べ物はわたしの内にある。神様に食べ物を求めるのです。永遠に飢えることのない食べ物を求めるのです。イエスは新しい過越し、ミサを行います。神の国の幸い。神様と一緒にいることです。イエスは言われます。わたしを食べなさい。わたしはわたしを与えます。
コリント書は新しい過越し・ミサを書き記します。新しい契約による新しい出発ー神の国への出発です。イエスの十字架を受けとめることが出来た時、ご聖体が分かる。愛が分かる。イエスを食べることがわかる。12弟子たち、あなたがたがわたしの体を人々に分け与えなさい。
与える者になる。聞く者になる。神に国への出発です。


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