「年間第25主日」(C年)説教
2013年9月22日・加藤 英雄師


 

   今日の第一朗読はパウロのテモテへの手紙です。パウロは言います。全ての人のために祈りなさい。敵のために、迫害する者のために祈る。自分たちを苦しめる人たちのために祈る、それが出来れば本当の平安が得られる、神様からの平穏と落ち着きが得られるのです。神様は唯一の神、唯一の主です。神様の思いはすべての人が救われ、真理を知るようになること。全ての人が、特に、罪人、神から離れている者が救われるようになることです。
イエスは弟子たちに話をされました。
あるお金持ちに一人の管理人がいた。主人は管理人を呼びつけて言われた。お前について聞いていることがある。不正があるならもう管理の仕事を任せる訳にはいかない。管理人は思う。わたしはこの仕事のほか何も出来ない。若くない、力がない、鉄筋を運べない、土を掘る力もない。しかし、管理の仕事を辞めさせられても、自分を受け入れてくれる友を造ればいい。管理人は自分に任せられているものの中で役立つものを一生懸命探した。借用書を見つけた。
主人に借りのある者を一人一人呼んで、借用書を示し、少なく書き直させた。管理人は主人の借用書で自分が得をしようとしたのです。借りのある人たちはこの管理人を喜んだ。借りが少なくなる。管理人は驚いた。借りのある人たちはあんなに喜んでいる。管理人もその喜びを見て、嬉しくなった。自分のために使ったものが、人のためになった。人を助けることがこんなにも嬉しい事か。
主人はこの不正な管理人の抜け目ないやり方をほめた。
主人はなぜこのずるい管理人をほめるのですか。
最初は主人のものを自分のために無駄遣いした。それが見つかって、辞めさせられるかもしれないと思い、今度は主人のものを自分のためと主人に借りている人のために使った。自分のものは何も使っていない。なぜ、ずるい管理人をほめるのですか。
この時、わたしはこの管理人は誰だろうと思ったのです。管理人は主人のものをすべて任されている。あぁ、そうか。主人は神様、そして、管理人はわたしたちではないかと思ったのです。神様が造られたものは、神様の財産はすべてわたしたちに任されている。神様の財産をどう使っていますかと問われているのではないでしょうか。自分の楽しみのために使っていませんか。自分の豊かな生活を送りたいと、無駄遣いをしていませんか。そのようなことを考えると、わたしたちが不正な管理人だと思いあたるのです。
わたしたちは信仰の道を行く者として、自分たちが光の子として振る舞う事を求めていませんか。規則を守り、悪を退け、主導者、求道者の生活をしたい。でも、不正な管理人は借りで苦しんでいる人たちに大きな喜びを与えたのです。借りのある人は喜んで管理人の仲間になった。管理人は良い仲間を作ったのです。借りのある、罪のある人を受け入れる事が出来ればいいと思います。
イエスは、不正にまみれた富で友だちを造りなさい、と言われます。金がなくなった時、あなた方は永遠の住まいに導いてもらえる。
不正な富のある所とはこの世、この社会ではないでしょうか。友を作る。友より大きな恵みはありません。不正な社会にいて、不正なことをするのはありません。不正な社会にあっても忠実な仕事をするのです。 富とはお金ですか。いや、富とはあなたが出来る善い事です。不正な富、この世で行う忠実さです。あなた自身が素晴らしい富になったらいいのです。


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