「主の降誕(日中のミサ)」(A年)説教
2013年12月25日・加藤 英雄師


 

入祭唱〈イザヤ9・5cf〉
「ひとりの幼子が生まれ、ひとりの男の子がわたしたちに授けられた。
その方には主権があり、その名は永遠のみことばと呼ばれる。」
 ひとりの男の子がわたしたちの中に生まれた。その子は神様を知っている。神様の中に生きている子だった。わたしたちはその子を見た。その子をじっと見た。その子を知った。その子と一緒に歩いた。その子の目は神様を見つめる目。わたしたちを包む目。その耳はわたしたちの心の叫びを聞く耳。その口は命を語る口。  その子は永遠のみことばと呼ばれる。
[イザヤ52・7-10]  
 静かなものが壊された。ゆったりとした思い、言葉行いが、能率によって排斥された。隅に追いやられた。心ににじむ、思いやり、安心が置き忘れられた。神様が追いやられた。信仰がなくなった。  彼の言葉を聞こう。彼の目を見よう。彼は平和の出発を告げている。救いを告げている。わたしたちは神様を見つめる。心の目で、心の耳で、体で神様を受け取る。
 主が語られる。わたしたちの心を通して語られる。
[ヘブライ1・1‐6]  
 神様は御子をわたしたちに送られた。幾世代にわたって、何十人もの預言者を送られた。今、この時、神様はご自分の名の御子を送られた。御子は神様の姿。その力のうちに、すべてのもの、見える物、見えないものを支えておられる。生きるものに命の力を与えられる。命、生き生きとして生きるいのち。御子はわたしたちを包む方。しかし、わたしたちを激しい炎で焼かれる。わたしたちの中に住む罪を火で焼き尽くされる。羊の血で洗い、白い衣を着て、新しく歩き始める。
御子は今や、神様の右の座に着いておられる。
[ヨハネ1・1-18]
  初めに神様がおられた。
神様は言。神様は「ある」をなさる方。
場には、神様の思いのうちに、いのちの光が満ちている。いのちの水が動いている。
見える物、見えないものは神様の思いのうちに成った。 神様は人をお造りになった。神様の息吹によって、いのちの光によって、いのちの水によって、 人は生きるものとなった。
世にあって、人は命の光、いのちの水が失われている。
暗闇の世界。
世に言が来られた。
言こそ、まことの光、まことのいのち。
  神様が来られた。人として赤ちゃんとして来られた。神様はご自分を人に与えられた。人になられた方は恵みと真理の方。神の姿。この方が神を示される。


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