「年間第3主日」(A年)説教
2014年1月26日・加藤 英雄師


 

 預言者の言葉は神様のみ心。神様からの言葉。預言の言葉は思想ではない、天上の言葉ではない。現実の中で語られる。今過ごしている生活を語っているのです。わたしたちの生活は歴史を造っている。また、今迄の歴史、今迄の生活が今の自分たちの歴史、生活なのである。
 ヨハネはイスラエルを揺るがす預言者でした。ヨハネは荒れ野で、ヨルダン川のほとりで、神様への道を語りました。そしてヘロデの生活を非難しました。ついにヨハネは捕えられたのです。イエスはヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれました。
    わたしは当初、イエスはヨハネが捕らえられたと聞き、田舎に引っ込んだのかなと思ってしまいました。それは違います。ガリラヤ、カファルナウムに拠点を造られたのです。
 預言者は王から、人々から苦しめられる。ある預言者は国を追われ、追放され、ある預言者は殺される。
  捕えられたヨハネにイエスは自分の姿を見るのです。ヨハネはヘロデ王に捕えられ、罪人として、人としての尊厳をむしり取られる。ついには、ヨハネはサロメの踊りの褒美として、首を討たれるのです。
 ガリラヤの地。預言者イザヤはガリラヤの地に光を見るのです。
 ガリラヤは異邦人の地。暗闇の地と呼ばれる。その地を照らす光を見る。暗闇に住む民、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。
  光はイエス。イエスこそ熱望していた光。
 異邦人、闇の中に住む者が光を見るのです。希望のない地に光が輝く。 光は神様の言葉、慰め、聖霊による力です。神様は光によって大きな喜び、大きな楽しみを与えてくださる。人は神様を知る。神様の前で喜び歌う。
 ガリラヤはイエスの生まれたところ。自分の出発点から、神の都エルサレムに向かうのです。ガリラヤからエルサレムへの道を歩む。信仰の道です。何度でも、何度でもガリラヤからエルサレムに向かって歩きます。
 ガリラヤに拠点を持った。
そのときから、イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
 ガリラヤ湖畔を歩くイエスはシモンとアンデレに声をかけられます。シモンとアンデレは漁師です。イエスの声が二人に響く。体を通して、心に響く。「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしよう。」二人はすぐに網を捨ててイエスに従ったのです。イエスは光、ペトロとアンデレの暗 い心に、み言葉が射し込んだのです。
 ヤコブとヨハネ、漁師の二人をご覧になった。ヤコブとヨハネに声をかけられる。「わたしについて来なさい。」二人もすぐに、イエスに従った。
 イエスの言葉は、後年、思います。イエスから呼ばれたのだ。イエスの言葉は呼び出す言葉になっていたのです。
神を語る言葉は召命です。愛を語る言葉も、神様へ向かう召命です。


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