「復活節第6主日」(A年)説教
2014年5月25日・加藤 英雄師


 

  ペトロは言います。心の中でキリストを主とあがめなさい。ペトロは、イエスは偉大な預言者である、神様の力をもった、神様の心をもった方であると思っていた。しかし、イエスは弟子の一人イスカリオテのユダに裏切られ、世の支配者、最高法院、ローマ総督ピラトに捕えられた。ペトロは逃げた。弟子たちも逃げた。イエスは、ついには、極刑である十字架につけられ、殺されてしまった。わたしは主を愛していた。主と共に命を捨てる覚悟でいた。しかし、わたしは逃げた。わたしの愛は主に自分を与えることの出来ない愛であった。自分を安心させる愛、イエスと一緒にいて嬉しい。安心がある愛であったのか。イエスはペトロに言うのです。ペトロわたしを見つめなさい。わたしの内に生き、わたしの内に命を捨てなさい。
ペトロは、今、わたしたちに言われます。 心の中でキリストをあがめなさい。  心:肉体的、霊的、精神的生命の中心をあらわす所です。
キリストがあなたの中心。あなたの中心にキリストが働いている。今もう一度思いなさい。キリストはあなたにとって何者ですか。生活の中のどこにいますか。キリストの語りかけを聞いていますか。
 友人が聞きます。あなたはキリスト教なのですね。キリストはどんな方ですか。キリスト教はあなたに何を求めているのですか。その時静かに、敬意をもって、正しい良心で説明できるようにしなさい。キリストのうちに安心を知る。善を見る。愛を知るのです。キリストを知らない者に、キリストを拒む者に、キリストと歩むわたしたちの生活の姿を見せなさい。静かな、微笑みのある、穏やかな生活を送る。その姿を誰が罵るのですか。
神様のみ心のうちに、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。キリストは肉では死に渡されたが、霊では生きる者とされたのです。キリスト・イエスがわたしたちを包んでおられるのです。わたしたちに語りかけておられるのです。
ペトロの思いのうちに自分たちの信仰を思い巡らしたいのです。
最後の晩餐です。イエスは告別の説教を語ります。あなた方は、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。掟を守ることが愛、愛は掟なのですか。愛という掟でわたしたちを縛っているのですか。掟は文字であらわされる律法の力ではないのです。掟は道です。イエスの掟はイエスの歩いた道です。愛の道です。わたしを愛している。わたしの姿を見なさい。わたしの道を歩きなさい。掟を守る、愛が掟を守る力となる。
愛:イエスの言葉を守る。あぁ、そうだ。イエスは神の御言葉です。イエスの言葉を守るとはイエスの中に入ることではないだろうか。イエスの言葉を守る、イエスにつながる、どんどんつながって行く。深くつながって行く。わたしの愛のうちにいなさい。
わたしは去って行く。世はわたしを見なくなるが、あなた方はわたしを見る。あなたたちをみなしごにはしておかない。安心しなさい。わたしは父に願い、弁護者を遣わす。
弁護者:あなたを守ります。あなたのために働きます。敵を見つめなさい。敵と戦う力を与えます。弁護者は神様である聖霊です。聖霊があなたの中に注がれる。聖霊によって、キリストと、父と一緒に生きる。聖霊が天の父、イエス、そして、わたしたちとの深い交わりに導いてくださる。
イエスは言われます。わたしは父の内に生き、あなた方がわたしの内に生きる。そして、わたしはあなた方の中に生きる。愛によってわたしたちは一つ。
わたしの掟を受け入れてほしい。わたしの掟はわたしの道。歩きます。出会います。自然と出会い、人と出会い、つながって実を結びます。それが掟の道、愛です。


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