「年間第18主日」(A年)説教
2014年8月3日・加藤 英雄師


 

  渇きを覚えていますか。平安を、安心を求めていますか。神様のみ心を求めていますか。
渇いている人、わたしのところに来なさい。わたしのもとに水がある。渇きをいやす水。いのちの水。心が水を求めている。命が清さを求めている。生き生きと生きる命を求めている。
飢えている者、わたしのところに来なさい。体のために穀物を食べる。ぶどう酒を飲む。
心の食べ物を食べ、体の食べ物を食べ、心と体を造り、生きる。生きる命は神様をたたえるためではないですか。神様のみ心のままに生きる。神様は言われます。自然のために働きなさい。隣人のために働きなさい。
あなたがたは銀を得ている。あなた方が得ている銀は何のためですか。何に使うのですか。
あなたの銀はあなたの命の糧となっていない。 わたしに耳を傾けなさい。わたしのもとに来なさい。聞き従って、魂に命を与えなさい。
バビロンで捕囚の生活をするイスラエル。金銭、能力によって生活する今の私たちに神様は言われます。命を喜んでいますか。
イエスは洗礼者ヨハネが牢の中で首をはねられ、殺されたことを知った。神様が送られた多くの預言者が王に、人々に苦しめられ、迫害の内に国外に追放され、あるいは殺された、その出来事が今、わたしたちの目の前で起こったのです。神様のみ心、み旨がどのように人々の心に入るのか。イエスは預言者として歩きます。 イエスは舟に乗って、ひとり人里離れたところに退かれた。
舟:舟というと教会の事を思ってしまいます。神様が用意された場。イエスは一人祈るために舟に乗られた。そして、人里離れた所で祈る。神様の思いをはっきり受け取る。イエスが宣教の始めに40日間荒れ野の試練の時がありました。人里離れた所、それは荒れ野ではないですか。
荒れ野:神様の思いをはっきり受け取る。神様の力を目の前に見る。神様のみ心を深く思いやる。神様の愛の内に、恵みの内に、生きていることをじかに感じる。
しかし、群衆はイエスを離さない。イエスの救いを求めている。今、病気のわたしを癒してください。わたしの心を癒してください。イエスは群衆の姿を見て、病気を癒される。

夕暮れになりました。食事の時です。イエス様、群衆を解散させてください。皆、自分たちで村へ食べ物を買いに行くでしょう。イエスは言われた。行かせることはない。あなた方が彼らに食べ物を与えなさい。わたしたちには群衆に与える食べ物がありません。  イエスは群衆に草の上に座るようお命じになります。わたしたちはこのイエスに、最後の晩餐、ミサを行う姿を見るのです。 わたしが与えるパン、命のパンを食べなさい。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。 パンを食べる。パンとは何ですか。生きるとは何ですか。わたしたち一人一人に神様は道を与えられる。道が見えますか。その道を歩いていますか。

洗礼者ヨハネがこの世を去った。イエスは五千人の男、女と子供の前で、過越しを祝う。新しい過越し、ミサが行われる。出発の日、一緒に歩いて行きましょう。ミサは出発の時の始まりではないでしょうか。この世から天の国への出発です。

主への渇きを覚えていますか、飢えを覚えていますか。荒れ野に身をおきなさい。
生きる。支えられていることを親身に思いなさい。そして、自然のために働く、隣人のために働く。自分が支える者となりますように。生き生きと生きることが出来ますように。



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