「年間第27主日」(A年)説教
2014年10月5日・加藤 英雄師


 

  今日の第一朗読イザヤ書はぶどう畑、ぶどう園を語ります。
  わたしの愛する者は肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。ぶどう畑の真ん中に見張り塔を立て、酒ぶねを掘った。よいぶどう、選んだぶどうを植えた。実るのを待つ。しかし、実のったのは酸っぱいぶどうであった。この酸っぱいぶどうはぶどうではない。この畑はぶどうを実らせない。
  わたしはぶどう畑を見捨てる。荒れるに任せる。わたしは雨を降らせるなと雲に命じる。
  わたしは愛する者を見ている。ぶどう畑を見ている。愛する者はぶどう畑の世話をしてきた。陽が当たるように。水が十分注がれるように。しかし、ぶどうは実らなかった。
  主は言われる。イスラエルの家はぶどう畑。主が楽しんで植えられたぶどうはユダの人々。選ばれた神の民はイスラエルの人々がぶどう。
実らないイスラエル。イスラエルは神様を見つめていない。神様に耳を傾けていない。神様を求め、神様への道を歩んでいない。
福音書もぶどう園を語ります。
神様はぶどう園を造られました。 ぶどう園で働きなさい。よいぶどう酒、よいぶどう汁を作り、すべての人が良いぶどう酒、よいぶどう汁を飲むことが出来るように。よいぶどうを選んで植える、育てる。
 主人は旅に出ます。ぶどう園を農民たちに任せます。農民に言います。働きなさい。自分の賃金のためではなく、善いものを作り、人々に喜んでもらうために働きなさい。自分の働きで人が喜ぶ。
 さて、収穫の時です。主人はぶどう園の収穫を喜びとしていました。どんな良いものが作れたろう。収穫を受け取るために僕を農民たちのところへ送った。しかし、農民たちはこの僕を捕まえて、一人は袋叩きにし、もう一人は石で打ち殺したのです。主人は驚いた。しかし、もっと多くの僕を送った。多くの僕も同じように殺された。農民は主人の思いを受け取ろうとはしなかった。主人は苦しんだ。そして、自分の息子を送った。息子の姿は主人、神様のようである。農民たちは息子を捕え、殺し、ぶどう園の外に放り出してしまった。 主人は悲しんだ。農民たちはぶどう園を自分たちのものにしようとしている。このぶどう園の収穫を全部自分たちのものにする。物は、力ある者、能力あるものが所有する事が出来る。自分の欲求に従うのです。働く。自分のに従うのです。農民は主人から、主人の息子から離れた。そこは主人の思うぶどう園ではない。 主人のぶどう園を作りなさい。
ぶどう園に天の国を見なさい。主人はご自分の息子をぶどう園に送られた。息子は農民たちに話をした、病を癒した、悪霊を追い出した。しかし、人の子は農民に捨てられた。ぶどう園を守るため息子は命をかけた。
主人は言われる。人の子がぶどう園という家の隅の親石となる。
     


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