「死者の日」説教
2014年11月2日・加藤 英雄師


 

  今日、わたしたちはこの世の旅を終えて、神様のもとに戻った方たちを思い起こします。わたしたちは何かきっかけがないと、死んだ人を思い起こすことはないように思います。今日のこの日を大切にしたいと思います。死んだ人を思い起こす。中でも肉親との別れが一番強く心に残るのではないでしょうか。

わたしは両親が今天の国にいますが、母の死が一番強く心に残っています。65歳で癌で死んだ。もっと親孝行しておけばよかった。苦労ばかりの、楽しい事のない生涯だった。そんなことを思っています。わたしの父と母は臨終洗礼でした。
   生きるとは何ですか。死ぬとは何ですか。
  生きるとは今、生きていることです。生きている。生き生きと生きなさい。光のうちにいる。いのちの水を飲む。人は生きている世界、自然の中にいる。支え合って生きている世界の中にいる。生きることは愛すること。支えられていることを知り、支える者となる。生きることは、自然のために、人のために働くことです。 生きる―命が与えられた。 神様がご自身の息吹を人に注がれた。生きるものになりなさい。あなたを愛する。わたしたちは神の子となるほど愛されているのです。
死ぬとは:この世から離れる事です。神様から呼ばれる。わたしのもとに戻りなさい。別離は苦悩です。別れはその人との「つながり」が切れてしまう。顔を見ることも出来ない。話すことも出来ない。一緒に笑うことも出来ない。神様はすべての人のこの世の命を取り去ります。この世を去った人と本当につながりが切れてしまうのか。教会は宣言します。すべての人は神様の命に生きている。愛のうちに生きている。
何ごとであれ、だれであれ、わたしたちを神様の愛から引き離すことは出来ない。(ローマ8・35)
この世で悪い事ばかりやった。みんなから、あいつは悪い奴だと言われていた。その人がひどい死に方をした。みんなは、あんな死に方は当たり前だという。
でも、思います。その悪人のその苦しさが、その人の罪の償いになればいい。
ある人の生涯は苦しみばかりであった。その苦しみはきっと、神様からの試練。その苦しみを受け取り乗り越えた時、天の国が待っている。
神様、どんな人でも、あなたの前に立つ人を地獄に落とさないでください。煉獄の深い深い暗闇に落としてください。そこで苦しみ、神様の愛を知り、自分の罪を認め、悔い改め、神の名を呼び始めることが出来るようにしてください。罪が垢となって、人の肌になっている。人の肌の一部になっている。それをいのちの水で削ぎ落とす。
わたしたちは煉獄にいる人たちのために祈ります。
わたしたちは死んだ人のために祈ります。
神様、亡くなったすべての人に心を留めてください。


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