「復活節第4主日」(B年)説教
2015年4月26日・加藤 英雄師


 

  わたしは良い羊飼いである。あなたがたもわたしの道を歩く者となりなさい。

キリスト教は深い神学を持っている。たとえば、旧約聖書、新約聖書の聖書解釈、イスラエルの歴史、律法による神様のみ心、キリストの日常生活、キリストの受難、十字架、復活、そして、ご聖体。しかし、わたしたちは神学によって生きているのではない。神様から頂いた「いのち」のうちに生きている。イエスと共に生きる。そんなことを考えていると、ペトロを思ってしまいます。
使徒言行録を読みます。ペトロは言います。わたしたちは人々の苦しんでいる姿、悲しんでいる姿を見ました。わたしたちはその人たちに心を励ます言葉を与えました。その人たちの病を癒しました。わたしたちはその人たちとつながることが出来ました。わたしたちは人々と会い、語り合っているうちにわたしたちの主イエスの話をしているのです。わたしたちはイエスに神を見ている。神様を話します。そして、この人が癒されたのは、あなた方が十字架につけて殺したイエスの名によるのです。わたしたちの言葉、行いはわたしたちの主イエスの名によるものです。  イスラエルを誇り、イスラエルのために働いておられる人たちが不要なものとして捨てた石が、イスラエルの隅の親石となったのです。この方がおられなかったら、イスラエルは完成への道を歩むことは出来ません。他の誰によっても、救いは得られません。
イエスは語られます。わたしは良い羊飼いである。羊は羊飼いに任されている。羊飼いは羊を見つめる。羊の一匹一匹に名をつけて名で呼ぶ。羊は羊飼いを見つめる。 わたしは羊を知っている。羊を大切にする。羊が狼に襲われるような時、羊泥棒が来る時、羊が群れを離れいなくなってしまう時、わたしは命をかけても羊を守る。わたしのもとに来る羊を愛している。わたしは羊のために命を捨てる。
神様から与えられた羊を生きるいのちで満たす。羊は羊飼いを知っている。羊飼いの心に耳を傾けている。羊飼いと一緒にいたいと思っている。羊は羊飼いに従って歩く。羊は羊飼いの心の内に一つになる。
羊飼いはすべての羊を包むため、すべての羊を導くために、この、今のこの命を捨て、新しい命を得る。
わたしは良い羊飼い。あなたがたもはわたしの道を歩む者となりなさい。隣人の良い友となりなさい。一番大切な事は、一番求めなくてはいけないことは、心のつながりではないですか。
捨てられた石が大切な石。小さな心遣いが大切な石となる。
石を積み上げてつくる門を考えてみます。両脇に石が積み上げられる。二つの柱を円形のアーチでつなぐ。両方から中央に向かって、アーチが出て来る。最後に、中央に一枚の石の板が差し入れられる。その時、その門は完成する。 その石の板は両方をつなぐ大切なもの。知らない人はその小さい石の板を捨ててしまう。
小さい石の板で心がつながれるのです。つながれるための働きなさい。隣人のために働くのです。イエスのみ心を行う者となりなさい。


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