「年間第11主日」(B年)説教
2015年6月14日・加藤 英雄師


 

  今日、イエスは神の国を知ってほしいと言われています。
神の国はどのような国でしょうか。 今まで、神の国はこの世を超えた所にありますと、そんな話をしていたように思います。
神の国に入る、正しい道を歩むことではないですか。生きる。感謝のうちに生きる。
祈ります。隣人のために働きます。与える者になります。土の器である自分が、空っぽになり、神様の霊で満たされる。神様からの与えられた目で見る、神様の耳で聞く、そして、語る。
わたしたちは神様から命を注がれ、この世に生まれ、生きている。わたしたちは神様の道具として生まれたと知ったのです。この世で苦しみなさい、神の国に入れます。
正しい道を歩んだ者は、この世を去った時、神の国に迎え入れられる、そう思っていたのです。
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1・14-15)
神の国は神様のみ心の国です。神の国は全世界に及び、神様の思いのうちにある国。この世に神の国を見つけるのです。神の国は今、ここに来ている。悔い改めなさい。悔い改めなければ、神の国は見えない。

ふと思いました。イエスはこの世に神の国を見ている。 大勢の群衆が来て、イエスに従った。
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。イエスは山の上で説教をされたのです。
心の貧しい人々は、幸いである。  悲しむ人々は、幸いである。
柔和な人々は、幸いである。  義に飢え渇く人々は、幸いである。
憐れみ深い人々は、幸いである。 心の清い人々は、幸いである。
平和を実現する人々は、幸いである。  義のために迫害される人々は、幸いである。
天の国は、神の国はその人たちのものである。(マタイ5・1ー)
神の国は次のようなものである。
わたしたちは大地に住んでいる。大地の恵みを感謝しなさい。種を蒔きなさい。土はひとりでに実を結ばせる。茎が、穂が育ち、ついには実を結ぶ。収穫の時が来る。わたしたちは種を蒔くことを忘れてはいけない。水が注がれる、太陽が陽を射す。恵みを祝う。これが神の国の姿。
種:自然を喜ぶ、隣人を喜ぶ。喜ぶ心。感謝の心。自然のために働く、隣人のために働く。与える者になる。祈る。
神の国はからし種を蒔くようなものだと言われる。

  からし種を蒔きなさい。ちっちゃな、からし種は吹けば飛んで行ってしまうような種です。
そうか、からし種は、普通ではない種と言っているのかも知れないなと思ったのです。
体の不自由な種、能率の悪い種、自分で働くことの出来ない種、そして、山上の説教で言われている、心の貧しい人、悲しむ人のことを言っているのではないでしょうか。
あなた方は神の国の種です。 自分は種、自分を蒔きなさいと言われる。
イエスの姿のうちにいる喜びを現しなさい。微笑みなさい。祈りなさい。
神様と共にいる、イエスと共にいる、これこそ生きる喜びではないですか。
生きる喜びの国、これこそ神の国ではないですか。
神の国はこの世から始まっています。この世を覆っている神様のみ心の国です。
種を蒔いていますか。自分の種を磨いていますか。
神様に感謝します。微笑んで働くことが出来ますように。隣人を愛することが出来ますように。


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