「諸聖人」(B年)説教
2015年11月1日・加藤 英雄師


 

  今日は諸聖人を祝います。わたしたちのこの社会、地の国は天の国に包まれています。諸聖人はわたしたちを支えたくて仕方がない。諸聖人は天の国でわたしたちのために祈ってくださっている。わたしたちがよりよく信仰生活を送ることが出来ますように。わたしたちも天の国におられる聖人ために祈ります。
第二朗読:ヨハネの手紙を読んで思いました。 神様はわたしたちに、わたしに話されます。お前はわたしの子だよ。神様、わたしは善い事をしていない。聖人のように生きられない。神様は笑って語ります。今から出発しよう。わたしの言葉を思い出した時が、出発の時だ。イエスの姿に倣いなさい。イエスから与えられた道を歩みなさい。
福音書でイエスは聖人を語られていると思うのです。天の国を語られていると思 うのです。
イエスは山に登られた。山は神様の場。イエスは天の国からわたしたちの生活の姿を語られたのです。
  貧しい人は幸い。
貧しい生活に苦しんでいる。あなたにとって貧しいとは何ですか。貧しい、何も持っていない。十分に持っていない。足りない。自分のしたいことが出来ない。貧しさに縛られている。食べることも出来ないのです。 貧しいことが寂しい事となってはいけない。惨めさになってはいけない。貧しさを知ったよ。体に響いているよ。体の苦しさを心が受け取っているよ。その出来事を受け止める。その出来事が自分に起こっている。全身で祈りなさい。神様、神様のために働きます。力を注いでください。働く者としてください。
悲しむ人は幸い。
  自分の不甲斐なさを悲しむ。自分の不注意によって、自分の傲慢さによって人の心をえぐってしまった。苦しくて仕方がない。悲しくて仕方がない。また、こんな出来事があるかも知れない。子供が事故にあった。もう起き上がれない体になってしまうという。悲しい、どんなことをしても、起きてしまった出来事は戻らない。悲しい、悲しい。
  悲しみなさい。苦しみなさい。思い起こし、悲しむ。その悲しみを十分味わいなさい。誰も慰めを与えられない。自分を見つめなさい。自分はこんなに小さい、こんなに弱い。自分を見つめる。悲しみから逃げてはいけない。
天の国は貧しさを知った人。悲しみを知った人の喜びの場です。貧しさから逃げなかった人、悲しみから逃げなかった人が、今、命を味わっている。貧しさを知ったから、悲しみを知ったから、神様からの豊かさを知った。自分の小ささ、弱さを知って、神様を知った。神様は父さんだと知った。父さんありがとう。
天の国は信仰の喜びのあふれる場。今、貧しい人、苦しんでいる人、悲しみのうちにいる人、あなたは自分のために考えることは何もないのです。そのまま貧しさ、苦しみ、悲しみを受け取りなさい。隣人が見えるようになった時、天の国が見える。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
主の日が来る。
すべての人が裁かれる日が来る。天使によって刻印が押される。神の刻印が押された者は、神様の者になる。その者全部が神様の「いのち」の世界に入る。神様の栄光の交わりの中に入る。永遠の喜びを知る。 神様のみ心、み言葉を心に刻んでいますか。神様のみ心を行っていますか。神様の道具となっていますか。 いや、神様のみ心、み言葉を努力して、祈り込んで心に刻むのではない。努力して、祈りこんで善い行いを行うのではない。あなたの人を思う心、人にする行いを神様が受け取って、神様がみ心をわたしたちの魂に刻んでくださるのです。刻印を押してくれと頼むのではない。わたしのために働いてくれてありがとうと神様が刻印を押してくださるのです。
その時、着ている服が真っ白になる。その衣は羊の血で洗われて白くなった。白く輝くものとなった。
諸聖人に感謝。神様に感謝。 


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