今日、わたしたちは待降節第一主日を迎えました。主が生まれる、その喜びを祝います。
子が生まれる、この世に新しい命が生まれる、こんな嬉しいことはありません。赤ちゃんを笑顔で見ると赤ちゃんは笑います。しかし、笑いたくないのに笑顔を作って赤ちゃんを見ると、赤ちゃんはじっとその顔を見て泣き出します。赤ちゃんは温かさを知っています。赤ちゃんは温かさを与えながら、温かさを求めているのだと思うのです。
第二次世界大戦、ロンドンにドイツの爆撃機が襲う、いや、ミサイルが攻撃してくる。市民たちは防空壕に入る。暗い防空壕の中で、耐える。30分、一時間も耐える。辛い、いらいらし始める。その中で、急に赤ちゃんの声が聞こえた。おなかの大きなお母さんがいて、急に赤ちゃんが生まれたのです。赤ちゃんのその声を聞いてみんなは微笑んだ。笑いが起きた。祈った。神に感謝。
福音書を読みます。今日の福音の少し前から読みました。
その日が来る。エルサレムが軍隊に囲まれる。信仰の世界が力によって囲まれる。この世の力です。名誉、権力、知識、損得の力、金銭の力です。それを知ったら、信仰の世界の滅亡を悟りなさい。わたしたちのエルサレムが信仰の場となっていなかった。わたしたちの教会が信仰の場となっていない、それを知るのです。毎日の生活の中で、神様を求めていますか、神様への道を歩いていますか、隣人を支えていますか。わたしたちは教会の中で、今、考えられない出来事の中にいるのです。教会で神様と出会っている。神様の身体を食べているのです。
神を求める者は山に逃げなさい。山で神様と出会う。都の中にいる者はそこから逃げなさい。田舎にいる者は都に入ってはいけません。物の便利さの中にいて、自然が見えない。自然に支えられていることが見えなくなってしまう。春夏、花が咲いても蝶々ょが飛んでいない。トンボが飛んでいない。どぶにザリガニがいた。わたしたちの周りの木々は植えられた木。
今の生活は何ですか。どのような社会にいますか。
今の自分の姿を見つめなさい。目を覚ましていなさい。残りの者になりなさい。
地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。エルサレムは神を知らない人たちによって踏みにじられる。
それから、神様は天地を動かされる。天体が揺れ動き、地は地震で壊れ、海はどよめく。すべてが終わってしまうのか。このようなことが起こり始めたら、身を起こしなさい、頭を上げなさい。
苦しみを全部受け入れなさい。主は言われます。天地は滅びても、わたしの言葉は滅びない。
目を覚ましていなさい。残りの者になりなさい。放縦の生活をしてはいけない。趣味の世界にとらわれてはいけない。働く、隣人のために働くことを忘れてはいけない。休みの時を楽しむ、趣味を楽しむ、嬉しい事です。休みがあり仕事が終わるのです。働いた喜びのうちに趣味が生きるのです。生きている生活を大切にする。この命、この生活を見つめる、自分の命、自分の生活を見つめるのです。自分が生きている、支えられて生きている。支える者となっている。
その日が来る。避けることはできない。その日の出来事があなたを襲う。その恐怖、その苦しみに出会っても、今、ここに生きている、神様の愛によって生きていることを知っている。
いつも目を覚まして祈ります。残りの者になります。
わたしたちは主の前に立ちます。