「待降節第4主日」(c年)説教
2015年12月20日・加藤 英雄師


 

 [ミカ5・1-4a]  
 ベツレヘム、いと小さき者。お前の中からわたしの心に適う者が出る。その者はイスラエルを治める。イスラエル:神様のもとに集まる。神様のみ心のうちに生きる。神様のために働く。
神に選ばれたいと小さき者は神様に捨ておかれる。 彼は平和をもたらす者。彼の平和は、心を開いて語り合い、必要、欲求を目の前に出す。争う。争い抜く。そして、争いを超えるつながりを築く。思いを争い抜くのです。その時、わたしたちは彼に主の力、主の御名の威厳をもって安心を知るのです。 わたしたちはこの方こそわたしたちの主イエスだと知り、イエスこそわたしたちの主と宣言するのです。  イエスに神様の力を見た。イエスは神様を語った。神様の憐れみを示された。病を癒し、体の不自由な者を解放し、悪霊を追い出された。死者に命を与えられた。しかし、主は彼を見捨てられた。彼は愛する弟子たちに見捨てられた。愛し、つながりを持った人々に見捨てられた。力のある者たち、文字になった律法を包む欲求の力によって、ローマに渡され、十字架にかかって刑死した。しかし、彼は死を超え、新しい命のうちに弟子たちにご自分を示された。弟子たちはイエスにわたしたちを包む栄光を見た。イエスこそ、救い主、いや、イエスこそ神であると知った。イエスはまことの神、まことの人と宣言した。 今日のミカの預言にイエスの姿を見ました。

 [ヘブライ10・5-10]  
 神様はイエス・キリストをいけにえとされた。 主は言われるのです。人の捧げるいけにえは罪を贖うものではないか。いけにえを捧げるその者の心はいけにえとなっていない。罪を贖うためのいけにえはわたしの心に響かない。 主はキリストを、キリストのすべてを、キリストの姿をいけにえとされた。イエスの毎日は神様への道を歩くこと。神様を語り、神様の業を示し、いのちの喜びを人々に与える。キリストは言われる。わたしは主のみ心を行います。そして、ついにキリストはご自身を、ご自身の命をいけにえとして献げられたのです。キリストこそまことのいけにえ。キリストがいけにえとなった、そこから愛があふれ出た。

 [ルカ1・39-45]  
 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう。」
マリアはエリザベトを訪問した。ガリラヤ地方の町ナザレからユダの町に言った。2,3日かかるでしょうか。天使が言われたことが自分の身に起きている。マリアは自分が身ごもってことを感じていた。そして、自分には子供が出来ないと考えていたエリザベトが身ごもって、6ヵ月になっていると天使がマリアに告げたのです。 マリアとエリザベトは出会った。喜びのうちに出会った。神様の祝福のうちにいる。感謝、感謝、感謝。神様の祝福のうちにわたしたちは出発する。わたしたちの胎の子も踊っています。
主のおっしゃったことは必ず実現すると信じたものは幸いである。


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