イエス様はベツレヘムでお生まれになりました。
ベツレヘムはユダヤの町、エルサレムから南へ8キロ程離れたところにあります。ベツレヘムはダビデ家の家系であるヨセフの出身地です。そして、このベツレヘムはイスラエルの王ダビデの生まれたところなのです。
BC1000年頃のことです。預言者サムエルはサウロに代わる新し王を捜すべくベツレヘムに来ました。神様が言われたエッサイの家を訪問します。会食を用意します。エッサイの息子のうちに王となる青年がいる。7人の息子は皆良い青年ばかりである。神様は言われます。外面、見かけだけで判断してはいけない。その人を作っている心を見なさい。兄弟はもうこれ以上いないのですか。末っ子がおります。今、末っ子は羊飼いをしています。神様はその少年、ダビデを選ばれたのです。羊飼いの少年ダビデが王として選ばれたのです。
BC7C頃、ある夜、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し、羊の群れの番をしていました。神様は羊飼いたちに声をかけられました。光り輝きの中で天使は言います。あなた方に大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、救い主。あなた方は、布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
王となる子が、家畜小屋で、飼い葉おけの中に寝ている。これがあなた方へのしるしである。
今日、わたしたちは王であるイエスの誕生を祝います。
神様は、人が生きる喜びを忘れているのを悲しまれておられます。人が何かに追われているように日々を過ごしている。静けさを忘れている。微笑みを忘れている。そして、隣人を見つめる以上に自分のことを気にしている。自分の能力、外見、見かけを気にしている。人は支え合って生きるのですよ。支えられていることを感謝し、支える者になって生きるのですよ。隣人と一緒に生きなさい。助けられ、助けて歩きなさい。
神様はこの世に多くの預言者を送られました。預言者は口うるさく思えてくる。わたしたちは預言者を見たくない、預言者の話しを聞きたくない。多くの預言者を苦しめ、追放し、殺してしまいました。神様は人がどんなに悪くても、回心してくれるのをあきらめない。ついに神様は御独り子を人としてこの世に、わたしたちの世界に送られたのです。
第一朗読イザヤ書を読みました。
闇の中を歩む民は。大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
エルサレムから遠く離れてしまった。信仰から離れてしまったと読んだらどうでしょうか。神様を思う時がない。静かに、ゆっくり自分を見る、自然を楽しむ時がなくなっている。
あなたは闇を歩く民になっていませんか。 今までだらしなく過ごしてきたからな、明るい希望のない生活、自分には能力がないのかなとしみじみ考えてしまう日々、毎日の生活が何かに縛られているように感じてしまう。遊んで、刺激によって、毎日がある。
神様は言われます。生きなさい。生き生きと生きなさい。支えられていることをもう一度思い巡らしなさい。支える者になりなさい。
神様はこの日を与えてくださった。
神様は光を注いでくださった。
光を見た。光が心の中まで入ってきた。
心が嬉しくなってくる。
今日は特別な日。神様は言われた。あなたたちのためにひとりのみどりごを与えよう。
あぁ、イエス様の誕生。
イエス様は神様です。
しかし、赤ちゃんです。
人を包むほど大きな力を持つ神様が、今、人に支えてもらわなければ生きて行けない。
本当に大切なものは、大切に扱わないと壊れてしまいます。
今日、イエス様がお生まれになりました。
おめでとうございます。
神に感謝。