「神の母聖マリア」(C年)説教
2016年1月1日・加藤 英雄師


 

  明けましておめでとうございます。今日新しい年を迎え、心を新たにし、出発します。つい先だって主の誕生を祝いました。赤ちゃんである主が人の生活を心と体で受け止めて、成長します。
人の喜びを知る、人の苦しみ、悲しみを知る。律法を守れない、罪人と呼ばれる人たちと交わってゆくのです。人の中で生活していて、罪のある人たちを見ないで生活できないのです。クリスマスに、赤ちゃんであるイエスの人としての生活が始まったのです。
主の誕生を祝い、自分の信仰を見直し、神様を見つめて目ます。そして、今日、正月。元旦を祝います。新しく生まれたものとして、神様に向かって歩きます。

今日の聖書は律法について書かれているように思います。
民数記を読んで、神様はわたしたちに厳しいことを求めておられる。そしてその時、神様は温かいみ心を与えてくださることを知ります。
アロンがイスラエルの人々を祝福し次のように言います。
主に顔を向けなさい。神様を見つめなさい。
主が…あなたを守られるように。
主が…あなたに恵みを与えられるように。
主が…あなたに平安を賜るように。
   祝福は神様のみ心です。三度同じ言葉が語られると、その契約は成立するという約束があります。わたしたちは神様に顔を向けます。神様のみ心のうちにいます。その時、わたしたちは神様の恵みを知ります。神様はわたしたちを守ってくださる。平安を注いでくださる。

イエスの時代、神様はイスラエルを見ておられた。イスラエルは律法によって神様への道を説いている。神様はわたしたちに律法を与えてくださった。律法を守りなさい。律法の教えのとおり行いなさい。律法学者は聖書を覚えるほど読んでいる。ファリサイ派の人々は、自分が如何に律法に忠実かを誇り、神様に感謝している。

神様は決心されたのです。イスラエルは律法のうちに閉じられている。律法学者、ファリサイ派の人々、そして人々も思っている。律法こそ神様のみ心である。そうではない。神様が律法に閉じ込められている。神様のみ心が律法を生んだ。律法を知るためには神様のみ心を知りなさい。

神様はご自分が人として世に生まれ、世に生きることを決められたのです。父と一体の子が人となるのです。子の母としてマリアを選ばれました。

神様はマリアを包みます。マリアは身ごもりました。マリアは言ったのです。こんなことってあるのですか。律法に反します。男親のない子の母は石打の刑にあいます。
  マリア、あなたは神様のみ心と出会っている。神様のみ心が律法ではないか。
  はい。わたしは神様のはしためです。神様のみ心のまま生活します。
マリアは本当の律法に出会ったのです。マリアは文字による律法から解放されました。

ヨセフに、父さんと母さんは言っていた。マリアは誠実な女の子。信仰の熱い子。父さん、母さんの言うこともよく聞く。よく働く。 しかし、ヨセフはマリアの出来事を聞いた。マリアは神様によって身ごもったという。そんなことはあり得ない。マリアはマリアの信仰のうちに生きればいい。わたしはわたしの信仰のうちに生きる。苦しんだ。ひそかに縁を切ろうとしていた時、天使がヨセフに告げた。恐れず妻マリアを迎え入れなさい。胎の子は神様によって宿ったのです。
ヨセフはマリアを迎え入れました。ヨセフも律法から解放されたのです。

羊飼いたちその家畜小屋についた。そこで、マリア、ヨセフそして飼い葉桶に寝ている乳飲み子と出会ったのです。天使の言われていたことが今、ここに実現している。羊飼いたちは神様の言葉を信頼している。神様のみ言葉のうちに喜びがある。

マリアは出来事のうちにいます。家畜小屋でイエスを生んだこと、博士の来訪を受けたこと、イエスにひれ伏し、祈ったこと。そして、羊飼いの訪問。マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた。神様からの出来事をすべて思いめぐらしていたのです。

神様を見つめながら、おおらかに語りたい、温かい働きをしてゆきたいと思います。


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