耳を傾けなさい。語るものより聞く者になりなさい。
今日の聖書を、聞くことを思いながら読みました。 まず、神様のみ心、言葉に耳を傾けます。わたしたちの周りにはいろいろな出来事が起こります。すべての出来事は一つ一つ神様の思いです。その出来事に耳を傾けます。
わたしたちは祈ります。祈りは神様との対話です。心を神様に向ける。昔、祈りは願いですと言われました。祈りは神様とのつながり、神様に求める以上に、神様の思いを知ることです。
神様に聞く時です。
神様に聞く者になった時、自分が見えます。自分の小ささ、弱さが見えます。一時、自分の小ささが、自分の弱さが恥ずかしかった。しかし、今、自分の小ささ、弱さが神様からの恵みだと知るのです。小さい、弱い者よ、小さいからこそ、弱いからこそ神様の思いを聞きなさい。小さいからこそ、弱いからこそ神様の中に入りなさい。
隣人に聞く者になる。自然に聞く者になる。人に支えられていることが分かる。自然に支えられていることが分かる。
第二朗読・第一コリント書を読みます。第一コリント書に聞くことを学びます。
わたしたちはキリストの体の一部となります。わたしたちがキリストと出会い、一人一人がそれぞれの場で、キリストの思いのうちに、キリストのために働くのです。キリストの体のほんの小さな部分となってキリストのために働く。わたしは弱い、小さいもの。わたしもキリストの体を造るものとなれるのでしょうか。 パウロは言います。体の中で他よりも弱く見える部分がかえって必要なのです。
あなたの力も必要ですと言って下っている。嬉しいですね。
キリストに聞きます。わたしは何をすればいいのですか。
あなたに何が見えますか。あなたの隣人は誰ですか。いろいろな出来事を見る、心が痛むことは何ですか。
福音書を読みます。
ルカはイエスを知りました。ルカはイエスに耳を傾けます。イエスを知れば知るほどイエスを語りたい思いが湧き上がってくる。 敬愛するテオフィロ様、わたしは不思議な方、神様であるイエスについて書き記します。テオフィロは神を愛するという意味だそうです。神を愛するあなたに神であるイエスを語ります。イエスは人です。イエスの姿をありのまま見ていた弟子たちは、「イエスは神様です」と宣言しました。信仰告白をしたのです。
イエスは洗礼を受けました。そして、40日の間、荒れ野で悪魔の試みに襲われました。それから、ガリラヤに帰られ諸会堂で教えられました。イエスは生まれ故郷のナザレに来られ、安息日に会堂に入られました。イザヤ書が渡され読まれる、話をされる。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した」と話し始められた。
わたしたちは神様に愛され、神様のいのちを注がれこの世に生きる者となったのです。
神様はいつもわたしたちに声をかけられています。神様に聞きなさい。神様を聞きなさい。イエスの言葉を聞く、いや、心に刻みなさい。神様の言葉、イエスの言葉を心に聞いた時、その言葉は実現する。あなたの目の前で実現する。
イザヤ書の言葉はイエスのうちに実現しました。イエスは言われるのです。この言葉はあなたのうちに実現した。あなたがこの言葉を実現するように招かれているのです。
主の霊があなたの上に注がれています。
日本、また、世界で貧しい人、苦しんでいる人、悲しんでいる人を見ていますか。捕らわれている人、圧迫されている人、体の不自由な人のことを考えていますか。
わたしは何をすればよいのですか。
聞く者になりなさい。神様に聞く。自然、隣人に聞く。
わたしたちは心で聞く者になりなさいと呼ばれているのです。