神様への道を歩む。いのちを大切に生きる道です。道をまっすぐ歩くように、間違った道を歩まないように数多くの律法があります。イエスはわたしたちに言われるのです。律法は人を縛るものではない。いのちに喜びを与えるものではないですか。イエスはわたしたちに、禁止を示す律法を超える新しい律法を与えてくださいました。それは愛しなさい、互いに愛し合いなさいです。喜びのうちに一緒に生きる律法です。
愛することは生きること。生きることは愛することです。わたしたちは今、生きています。わたしたちは愛されている。これほどまでに恵まれ、支えられているのです。
愛はつながりです。愛はその人全部とのつながりです。
人と出会います。つながりの始まりです。始めは外面の付き合いです。会えば会うほど、その人の心を感じることが出来ます。深くつながってゆきます。最初の出会いは部分の出会い、身体が、顔が見える、声が聞こえることです。その人の部分、部分と出会って行く、つながりが深くなればなるほど、その人がより深く見えてくるように思います。
愛することは求めることではありません。愛は与えることです。与えられて生きているわたしたちが与える者になるのです。互いに愛し合いなさい。一緒の生きる者になりなさい。
安息日です。ナザレに帰られたイエスは会堂でイザヤ書を読まれました。そして語り始めます。
「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した。」 聖書は神様のみことばです。神様のみことばを心の耳で聞く。神様のみことばがあなた方の心の入った時、神様のみ言葉は動きます、働きます。イザヤ書は言います。神様の言葉は実現した。神様のみ言葉には力があります。神様のみ言葉は無に帰ることはないからです。
会堂にいる皆はイエスの言葉に驚いている。イエスの言葉は神様の豊かさにあふれている。イエスはイザヤ書を読み、恵みの心で語り始めたのです。 ふと会衆は言います。「この人はヨセフの子ではないか。」 預言者は神様のみ心を語ります。しかし、あなた方は神様のみことばを聞こうとしない。故郷では預言者は歓迎されない。 イエスは預言者。そうかも知れない。そういってもイエスはヨセフの息子だ。昔から知っている、近所で遊んでいたあのイエスだ。 人々はわたしを預言者として受け入れない。人々は言う。同じ故郷のものだ、厳しいことは求めるな。病をいやしてほしい。喜びと、豊かさを与えてくれ。
イエスは言います。愛は与えることです。求めるのではありません。求めるあなた方には、恵みは全く与えられません。 エリヤの時代、イスラエルに大飢饉が起こった時、イスラエルに多くのやもめがいたが、エリヤはシドンのやもめのもとにだけ遣わされた。イスラエルには恵みが来ない。
預言者エリシャの時代、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリヤ人ナアマンの他は誰も清くされなかった。イスラエルには恵みが来ない。
これを聞いた会堂内の人々は皆、憤慨してイエスを町の外へ追い出し、山の崖から突き落とそうとした。
人々はイエスとつながりたかった。自分たちの思う通り動いてくれるイエスとつながりたい。
イエスは思うのです。人々が神様のみ心とつながったらいい。イエスの言葉に神様を知る。イエスの心に神様を見る。
この世の考えでイエスを見たい、しかし、見えない。
愛は与えることです。あなたは愛のうちにいますか。