第2朗読・コリントの教会の手紙を読みました。
イエスに出会った。キリストに出会った。イエスによっていのちの尊さを知った。人はいのちによって生きる。すべての人はいのちによってつながっている。体が生きる、心が生きる。イエスがわたしたちに呼びかけている。わたしに従いなさい。いのちの国への旅に出よう。
イエスのみ言葉を聞きます。
イエスは徴税人、罪人と一緒に食事をする。それ以前に、イエスの周りに徴税人、罪人が集まってくる。イエスの話を聞きたい、力づけてほしい、慰めてほしい、喜びをもらいたい。また、病をいやしてほしい。
それを知ってファリサイ派の人たちや律法学者たちは不平を言う。イエスよ、あなたは人々に神様を知らせる指導者ではないか。神様への正しい道、律法を教えるべきなのに、徴税人、罪人の仲間なのか。徴税人、罪人たちと食事をするほど深いつながりを持っているのか。
みんな、聞いてほしい。ファリサイ派の人たち、律法学者たちの言葉を聞いて、イエスは放蕩息子のたとえを語ります。
父親に息子が二人いた。父親はどうしようもない弟を大切にしている。勉強会で放蕩息子のたとえの話をすると、俺は弟だー真面目じゃないし、誘惑に弱い、だらしない生活を送ってきた、父さん、母さんの言うことも聞かなかった、と言いう人がいます。
聖書の書きようが今のわたしたちにはよく分からないのだと思います。弟は本当にひどい息子なのです。今風に考えますと、弟は仕事を始めたくらいの若者です。自分の家で仕事をしている。仕事場に行っても全く仕事をしない。仕事場の金を盗んでこっそりアパートを借りる。友達を呼んでたばこ、酒の日々を過ごす。女の子を乗せたオートバイを無茶に走らせ、親が警察の呼び出される。弟の心の中は、いつも文句ばかりが渦巻いている。父さんの言うことは全く聞かない、聞いても聞いていない。
ある日、ついに言います。父さん、いずれ父さんが死んだら兄貴と俺に遺産を配るでしょう? 今、俺に遺産の分け前がほしい。
兄さんが言います。弟はひどい奴だが、あれ程ひどいとは。あんな奴は俺の弟でも何でもない。
父親はこの弟を大切にしている。父親の心が理解できない。
ある教会の日曜学校で、子供たちにこの話をしたところ、一番悪いのは父さんではないですか、と言う。うちなんかそんなことをしたらすぐに殴られる。
遺産の分け前を金に換えて、家を出て行った弟が戻ってきた。お金を全部使い果たして、食べるのにも困り果てた。家で食べさせてもらいたいと戻ってきた。
父さんは弟を見て喜んだ。よく帰って来た。お前は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった。
兄さんは言います。父さん、あの父さんの息子はわたしたちから離れて出て行った。財産の半分を持って行った。8千万、9千万、一億ぐらいの金をもって行って、遊びほうけて暮らしたのです。何もなくなったから帰ってきた。そんな言い分ありますか。張り倒してやるのが当たり前でないでしょうか。それなのに、王子様を迎えるように宴をなさいます。わたしは不愉快です。
(父さん、父さんはこんなに一生懸命働いているわたしに何もしてくれないではありませんか。)
弟が目の前にいる。あなたはこの弟を愛せますか。
父親は言います。子よ、お前たちは二人ともわたしの息子だ。息子が苦しんで帰って来たのだ。温かく迎える、抱きしめて迎えるのがいけないか。あの息子はお前の弟だ。どんな悪い者になってもお前の弟だ。それを忘れてはいけない。弟は何も持っていなかったのだ。心に、魂に何も持っていなかったのだ。弟は、今、それを知った。弟は生きるために戻って来たのだ。喜び祝おう。
徴税人、罪人は弟ではないですか。父さんのところに帰れ、生きる者になりなさいイエスは言うのです。イエスは神様のみ心を語る、行う方です。徴税人、罪人と食事をする。どんな人であっても兄弟ではないですか。イエスが徴税人、罪人を一緒にいる時、一緒に食事をするとき、徴税人、罪人がイエスの世界に入って行くのです。イエスと共にいて、いのちの大切さを知るのです。
兄さんは善い人ですか。兄さんは決まりはきちっと守ります。約束は守ります。仕事は誠実にします。父さんの言いつけに背くことはありません。
しかし、父さんは兄さんに言います。大切なことは人を愛することだ。人とつながることだ。人のために働くことだ。お前は弟を見ていなかった。弟を知ろうとしなかった。弟とつながろうとしなかった。お前にわたしが見えるか。わたしの心と見ようとしているか。
いのちの大切さを知ってほしい。人とつながってほしい。
四旬節です。
主は聞かれます。
あなたの隣人はどなたですか。その方と深くつながることできますように。