「復活節第4主日」(C年)説教
2016年4月17日・加藤 英雄師


 

  神殿の境内でユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言います。
「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」
イエスは言います。わたしは言葉、行いによって、神様のみ心を証している。あなたたちはわたしを見ていない。わたしとつながろうとしない。わたしを信じない。

イエスは言います。あなたたちはわたしの羊ではないからである。
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
この頃、2,3度ですが、赤ちゃんを近くに見る、抱っこをすることがありました。赤ちゃんは不思議ですね。赤ちゃんが生まれました。抱っこして下さい。この赤ちゃんが3歳になると、幼稚園に入るのだとも思うのです。お母さんから離れて、家から離れて幼稚園に行く。何もできない赤ちゃんが言葉が話せるようになる。あっという間もなく成長してゆく。

赤ちゃんは何も出来ません。しかし、赤ちゃんはお母さんの声を聞き分けます。声の言葉を聞き分けるのではありません。お母さんの心の言葉を聞いているのです。心が言葉となっている。お母さんの言葉が安心を与える。温かさを与えるのです。
赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんを抱いてください。赤ちゃんは知らない人に初めて出会う。
その人の顔が見える見える。言葉が聞こえる。 その人がお母さんと親しかったり、何ら緊張しないで、打ち解けているとき、赤ちゃんはその人と安心でつながります。赤ちゃんはその人と、一時的ではありますが、お母さんと同じ温かさを感じるのではないかと思います。いやな顔をしない。
しかし、お母さんがその人と何かわだかまりがあったり、緊張があったりすると、赤ちゃんは心を許さない。不安になり泣き出します。

わたしたちはイエス様の羊ですか。イエス様の赤ちゃんですか。ちょっと極端だと思いましたが、羊に赤ちゃんを見ました。羊は羊飼いの言葉を素直に聞きます。赤ちゃんは父さん、母さんの言うことは何でも聞く、父さん、母さんの言葉しか耳に入ってこない。羊は、素直な赤ちゃんのように、羊飼いの言葉を聞くと思うのです。

父さん、母さんは自分の子供のことは何でも知っている。息子が、娘が何かに苦しんでいたら、それを隠しても、親はそれがすぐに分かる。失敗して落ち込んでいて、それを隠そうとしても、父さん、母さんは騙せない。すぐ分かる。

父さんはお前のことを心にかけ、いつも見守っている。お前のことはよく分かる。わたしとお前はつながっている。わたしの言葉のうちに働きなさい。わたしはあなたに永遠のいのちを与える。

わたしたちは「永遠のいのちが与えられる」というと、死んでも生きる命、時間を超えて生きる新しい命、神様の命を注がれると考えていました。わたしに従う者に永遠の命を与えると聞くと、永遠のいのちは、今、与えられ、永遠のいのちは、今、始まっているのだと思います。

永遠の命は、自分を捨て、自分に与えられた十字架を背負って歩く者に注がれるのです。神様に触れているいのちです。 例えば、洗礼を受けた時、生まれ変わった、清くなったと感じる。その姿の命です。深い、深い祈りに入った時、自分がなくなっている、神様の前にいる姿の命。イエスをそのまま見ることのできる自分の姿の命。
イエスに従う、従順に従う時、自分が変えられてゆく。変わって行く。自分のうちに神様の命が働いている。その命が永遠の命です。
 イエスは言います。あなたはわたしの羊ですか。 
はい、イエス様、あなたに従順に生きることが出来ますように。


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