「復活節第5主日」(C年)説教
2016年4月24日・加藤 英雄師


 

  わたしたちは復活のいのちを知りました。弟子たちは言います。わたしたちは復活のイエス様と出会ったのです。死ぬことのないいのち、断つことのない愛がある。

今日は復活の命、終わりのない愛を包む栄光を考えたいと思います。
第一朗読・使徒言行録を読みます。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」 神の国とは神様のみ心が働くところです。間違えてはいけないのですが、神の国は人の心が神様のみ心のうちに働くところです。わたしたちが神の国に入る程愛のために働いていますかと問われているように見えます。神の国に入るためには、多くの苦しみを経なくてはならないと言われるのです。
第二朗読で黙示録が読まれました。わたしは新しい天と地を見た。新しいエルサレムの世界が始まる。神が人と共に住み、人は神の民となる。イエスは言われます。「見よ、わたしは万物を新しくする。」 万物が、わたしたちが新しい命に生きる者となる。新しいエルサレムに生きる。生きておられる神様がわたしたちを包まれる。これこそ神の栄光の姿ではないですか。

福音書を読みます。イエスは言われるのです。今や、人の子は栄光を受けた。

イエスと弟子たちは過越しの食事を祝っています。イエスは言われました。「はっきり言っておく。
あなた方のうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは誰について言っておられるのかわからない。イエスはパン切れを取り、ぶどう酒に浸してイスカリオテのユダに与えられた。イエスは言われます。「しようとしていることを、今すぐしなさい。」 ユダはすぐ出て行った。夜であった。
この時、イエスは言われました。今や、人の子は栄光を受けた。

栄光とは何ですか。
神様のすばらしさ現れです。新しいいのち。神様の温かさ、清さ、光の安らぎ、豊かさが現れることです。そして、言います。イエスこそがわたしたちの栄光です。イエスの姿が、イエスのわたしたちへの愛が栄光です。

人の子は栄光を受けた。人の子は神様の何にも変え難いすばらしさを現された。イエスによって神様の栄光の出来事がわたしたちに示されたのです。
①イエスは人に愛とは何かを示された。あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなたも隣人を愛しなさい。愛とは相手の人が生き生きと生きる、喜びのうちに生きる、いのちのすばらしさを知ることです。その人のために自分の持っているものを与える。自分の時間を使う。その人のために働く、祈る。愛とは与えることです。

②過越しの食事が終わりました。過越しは新しい出発です。エジプトからの出発を記念すること以上に、今、新しい出発が求められている。ここからどこに行くのですか。神の国への出発です。イエスはゲッセマネで祈りました。天の父のみ心は:人々を清めなさい。新しいいのちを与えなさい。すべての人の罪、咎を清めなさい。わたしが与える杯で人の罪、咎を飲み干しなさい。

③イエスは捕らえられた。鞭打たれ、殴られ、唾を吐きかけられ、茨の冠をかぶせられ、衣を取られ、十字架に釘付けされました。弟子たちは離れ去ってしまった。人々はイエスの苦しみをただ見ているだけです。しかし、イエスはその苦しみから逃げない。神様から与えられた苦難を受け取ります。わたしたちは、イエスの神様への従順。いのちを捨てるまでの従順。人への愛のための苦難、人への愛のためにいのちを捨てる心を見るのです。十字架のイエスを忘れない。

④神様は人の子によって栄光をお受けになった。イエスの人に対する愛の出来事が、神様の人を愛する姿となったのです。神様は愛する独り子を人に与えたほど人を愛されている。

わたしたちはイエスから新しい掟をいただいた。
互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように。

イエスの十字架を心と体で受け入れた者に愛が見えるのではないですか。
十字架の愛を見つめて、命をかけて愛されていること、神の愛の中に生きていることを知るのです。

栄光の言葉の意味は「重さ」です。
神様の重さ、イエスの重さ、そして、自分の重さを考えたいと思います。

栄光を見つめます。栄光への道を歩みます。


戻る