愛することは生きること。生きることは愛すること。
イエスは言われます。わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。わたしに心を向けてほしい。わたしはあなたを愛しています。
あなたにわたしの心を伝えたい。わたしはいつも、あなたに呼びかけています。わたしの呼びかけを受け止めてほしい。どんなことがあってもあなたを守る。
あなたがわたしにつながっていれば、わたしはあなたの中にいる。あなたの中に住む。
どうしてもあなたの中に住むといわれる。
あぁ、そうだ。わたしたちはイエスの体をいただく。イエスが体でわたしの中に入る。
イエスにこれほど愛されている。こんなに嬉しいことはない。
イエスは言われます。互いに愛し合いなさい。
愛されている喜びを知らせたらいい。その喜びで友を愛するのです。
人を愛する、イエスがわたしたちを愛されたように愛する。
自分の持っているものを全部使って、その人を愛する。
手助けがあって生きることが出来る、手助けがなければ生きて行けない。
その人たちのために何かできればいい。
体の不自由な人のために何か出来ればいい。
父さん、母さんがいない子どもたちのために何か出来ればいい。
話し相手のいないお年寄りのために、話し相手になりたい。
生きるために求めている人を隣人と言います。隣人を愛する。
わたしたちの周りに、なんと多くの隣人がいるのだろうか。
イエスがわたしたちを愛されたように、わたしたちが隣人を愛すことが出来ますように。
わたしたちは、自分が愛されていることを知り、隣人のために働くことが出来る、そんな状態を平和と言います。 平和について思い巡らしたいと思います。
平和の言葉の意味を語るのではありません。
平和について考える時、平和を動くものとして考えます。
あなたにとって平和とは何ですか。
平和とは、争いのない心、争いのない世界。
あなたは平和を造って行くために何をしていますか。
平和とは与えることです。みんなが与える者になったらいい。
わたしたちは、今、求める者になっている。奪う者になっている。争う世界を造っている。
わたしたちは時に、平和がありますようにと祈ったり、平和のために働きましょうと祈ったりします。
イエスそれを聞いて、渋い顔のうちににこっとします。
イエスは聞きたいのです。
あなたに隣人はいますか。
平和は隣人を愛そうとするあなたの心の中にあります。だから、人とつながり始めなければ、平和は始まりません。隣人のために働き始めた時、平和が始まるのです。
平和という言葉を聞いて、すぐ思い出すのが、落ち込んで家の中に集まっている弟子たちとイエスとの出会いです。弟子たちが扉に鍵がかかっている家に集まっている。互いに語り合って、イエスを思い出している。真ん中に人が立って、皆の顔を見つめながら言う。
「あなた方に平和があるように。」 イエスだ。皆は死を超えるいのちを見たのです。
わたしはあなたがたにわたしの平和を与える。
わたしの姿を見つめなさい。わたしの道を歩みなさい。
人が生きること。喜んで生きること。それが平和です。
平和を世が与えるように与えるのではない。
国が、個人が持っている力によって思いを成し遂げようとするのではない。力によって静けさを得るのではない。武力によって、お金によって、知識によって、思いを得るのではない。
声をかける。聞く者となる。与える者になる。その人とつながるのです。安心が生まれる。穏やかさが生まれる。希望が生まれる。
与えなさい。愛することは与えること。生きることは与えること。イエスはわたしたちを愛された。イエスはご自分をわたしたちに与えられた。
イエスが与えられたように、あなたも与える者になりなさい。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、イエスの心が語っているのである。
イエスは言われます。わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。
イエスのみ心のうちに、平和を造って行きたいと思います。