親しい友人がなくなったと聞いたら、驚きます。そばに行きたいと思います。そして、通夜、葬式ミサにあずかりながら、その友人と共にいたころを思い起こします。思い出、一緒に働いたこと、酒を飲み明かしたこと、口論をしたこと、そんなことを思いながら、友であったことを感謝します。
去ってしまった。身近にいなくなってしまった。別の世界に行ってしまったのです。悲しい。悲しいから悲しい分だけ深く心に刻みます。そして、別れは新しい出会いになると信じます。別の世界に行ってしまう、善い世界に行く、善い世界がある。
友が去った。別れる。しかし、この世を去ることは悲しいことが喜びに代わることです。
入門講座で話します。死んだらどこに行くのですか。おばあちゃんがなくなった。孫がお父さんに聞きます。死んだおばあちゃんはどこに行くの。お父さんは答えます。神様がおばあちゃんに星になりなさいというんだ。夕方になると星が出るだろう。おばあちゃんは星となっていつもお前を見ているんだ。けど、夜でなければ星は見えない、昼間はいない。昼間は見えないけれど、そこにいるんだ。いつも、いつもお前を見ている。おばあちゃんと話がしたかったら、おばあちゃんに向かって、心から話したらいい。心の言葉がお祈りだよ。
神様がわたしたちの世界を包んでいることを知ってほしいのです。
今日、主の昇天を祝います。主の昇天も神様の栄光の出来事だと思います。
神様の栄光はイエスの姿によって示されました。人々はイエスに出会って、慰められました。悲しみを受け取ってもらいました。希望が与えられました。いのちの大切さを知りました。人の命の大切さ、自分の生きている大切さを知ったのです。イエスと出会った人たち、イエスの話を聞いた人たちは、イエスと一緒にいる喜びを感じていた。イエスから流れ出る、神様の栄光を見ていたのです。
そして、天の父はイエスに苦しみを与えられました。主の受難です。この苦しみはわたしたちの罪、咎です。このとてつもなく大きな重荷をイエスは背負ったのです。わたしたちの罪、咎をしっかり見つめなさい。イエスの苦しみはわたしたちの罪、咎。それをしっかり受け止めなければ、栄光が分からない。栄光に入ることが出来ない。
日曜日、主の日、新しいいのちに生きるイエスが弟子たちを訪れたのです。「あなた方に平和があるように。」 弟子たちはイエスを見た時、瞬間、激しく怒られるのかと思いました。弟子たちはイエスが捕らえられた時、イエスのもとから逃げ去ってしまったからです。
イエスは微笑んでおられる。愛のうちに出会った。平和を造る者として働きなさい。
イエスは弟子たちに言われます。エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい。あなた方は聖霊によって洗礼を受ける。
水の洗礼:水の中に入り、今までの自分が死ぬ。水がその人を洗い清める。心と体の汚れを拭い去る。水から立ち上がって、新しいいのちによって生きる。神様と結ばれる。神の子として生きる。愛の道を歩む。
聖霊による洗礼:イエスが天に昇り、父のもとに行く。聖霊のうちに父と子は一つになる。聖霊による洗礼とは、父と子と聖霊の神様があなたの中に入って来ることです。
キリスト共に死に、キリスト共に生きる。(ローマ6・4,8 Ⅱコリント4・10 Ⅱテモテ2・11)
聖霊が注がれ、神様の愛が自分の心と体にどすーんと入って来る。イエスの出来事を知る。地の果てに至るまで出かけて行き、わたしの証人となりなさい。
父のもとに行きます。見えなくなる。わたしを呼びなさい。そうすれば会える。
天の国に行く。善い世界。柔らかい光に包まれる、地上を見て、祈りたくなる世界。
イエスは言われます。善い世界があります。この道を歩んでください。