「年間第10主日」(C年)説教
2016年6月5日・加藤 英雄師


 

  この間、あるお母さんが神父さんに言いました。幼稚園の子供が言うのです。園長先生は、見えるもの、見えないもの全部神様が造ったという。でも神様は誰が造ったのか言わないよ。神様は誰が造ったの? わたしもよく分からないから、神父さんに聞いてみなさいと言いました。神様がおられて、神様がお造りになって時間が始まり、空間、場所が始まった。それを信じてるから、神様が造られたなんて考えたことなかった。

始めに神様がおられた。
何もないところから、物が現れる。物を造った方がいるから、物を置いた方がいるからです。
「ある」から「ない」が分かる。神様の名前は「わたしはある」です。まったく、何もないことを知っているから「わたしはある」と言えるのです。その方が、真っ先に始める方がわたしは始めであるというのです。 「ある」「ない」を支配することが出来るから、わたしは始めであり終わりであるといえるのです。わたしは始める力を持っている、終わらせる力を持っているのです。その方が神様です。

神様の以前を考えてしまっている。神様の以前には何もない。神様が世界を造られた。「ある」が見えるようになった。そこからは聖書をそのまま信じる。神様の思い、業がある。
実は神様の奇跡がおとぎ話のように思っていた。今は、神様の業、奇跡がわたしたちに力を与えるもの、神様のみ心だと思えるのです。すべての出来事がおとぎ話ではない。神様のみ心の業です。わたしたちの今住んでいるこの世は、神様が造られた世界です。それを自分たちのものにしてしまった。

第二朗読・ガラテヤの教会への手紙でパウロは言います。主は言われます。あなたは神のいのちに生きていない。神のいのちの喜び、人のいのちの尊さを思い巡らしなさい。神様は今も生きておられる。今もわたしたちに声をかけておられる。生きておられる神に従うのです。神様はすべての人にいのちを与え、すべての人を生かす。これが福音。

第一朗読、ルカによる福音書を読みました。
やもめの母の息子たちの命がよみがえった。力ある預言者エリヤによって、また神の人イエスによって死んだ人にいのちが、また、返された。生きる者となった。エリヤによって息子が生き返った。やもめである母は言います。また、イエスによって命が戻された。それを見ていた人たちは言います。わたしたちは神様によって生きている。神様によって命が与えられている。それをわたしたちはこの目で見た。いのちを与える力を持っているあなたの言葉は神様の言葉。神様の力がこの世にあらわれた。神様はわたしたちを心に留めておられる。

生きる、いのちを大切にします。

この間、霊性の話を聞きました。難しい話でした。その中で心を打つところがありました。
神様は人を造られる。いのちを与えこの世に生む。わたしたちは神様によって命が与えられたから生まれたんだと思っていました。いのちによって生きる。いのちに心、精神という衣を着る。その上に身体という衣を着る。心、精神と身体は切っても切れない、相互につながり合っている。
そうではないというのです。人が生きるとは、生きる原点が与えられるのです。その私がいる。あなたがいる。それは神様から与えられた生きている原点があるからです。あなたがどんな心を持っていようとも、あなたがどんな精神であろうとも、どんな体を持っていようとも、あなたはわたしの子である。生きていようと、命を失ったとしても、神様が言われるのです。わたしはあなたを愛している。

わたしたちは、今、生きているこのいのちを喜んでいますか。隣人のいのちのために働いていますか。福音とは一緒のいいのちを喜ぶことです。いのちのために働くことです。


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