自由。もっともっと自由奔放に、のびやかに過ごしたい。自分が自分でありたい。人が話していることに気を使うことなく、しなければならないことに思い悩むことなく、自分を囲むことから自由になって毎日を過ごしたい。自由に遊ぶ、自由に歌い、自由に絵をかき、自由に落語を聞きに行ったり、映画を見に行く。でも、待ってくれ、それは自分の、自分だけの自由ではないですか。
今日の第2朗読ガラテヤの教会への手紙は言います。 神様からの自由を味わいなさい。
今までわたしたちは自分の自由を求めていた。自分の自由とは欲求による満足、安心を求めることではないですか。自分自身でありたいという、それは自分のしたい放題したいということではないですか。 神様からの自由は、あなたは与える者になりなさいということです。今あなたが持っているものは全部、神様によるものです。神様から命をいただいた。神様から能力をいただいた。
神様からただで与えられたのだから、ただで与えなさい。
与えることが出来る。それが神様の自由です。心で思い、体によって与える者になることです。
「隣人を自分のように愛しなさい」 これが神様のみ心です。
イエスは弟子たちと共にエルサレムに上って行きます。わたしたちが神様の自由を知り、それを得るためです。わたしたちが本当の愛を知るためです。イエスはわたしたちに言われるのです。一緒にエルサレムへの道を歩きましょう。エルサレムへの道は神様と出会うための道です。寄り道に気付いたら戻って来なさい。イエスは何度も言います。一緒に歩きましょう。
今日の福音書でこんな人がいました。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 イエスはその人を見つめて言われます。あなたは今、ここでわたしと出会った。あなたはわたしを求めていたのではないですか。あなたはあなた自身の道を歩み始めている。そして、わたしと出会ったのです。生活している、毎日を過ごしている。それは道を歩いていることです。立ち上がり、エルサレムに向かって、神様の光に向かって、いのちの喜びに向かって歩きなさい。もう、振り向いてはいけない。
自由とは与える者になること。与えることが出来る自由が神様から与えられた自由。それが愛。
わたしたちは小さい者、弱い者です。小さいから、弱いから小さい者、弱い者のために働くことが出来るのではないでしょうか。隣人を愛する。
小さい者、弱い者について考えてみたいと思います。
ずっと前ですが、星野富弘さんの本「限りなくやさしい花々」をいただいきました。この本を開きました。星野さんは1946年の生まれで、中学校の体育の先生でした。教師になって2か月後、クラブの指導中、誤って墜落し手足の自由を失ったのです。24歳でした。
詩を書いています。その詩を読むと、心が動きます。神様の光の道を歩いていると思うのです。
「初めてクレヨンを 買ってもらった時 壁や戸板に やたらにチューリップの 絵をかいた。
今、わたしは 口に筆をくわえ やはりチューリップを かいている。」
「顔の横に 花をおいて 見つづけていたら わたしは花よりも 小さくなってしまった。」
「ちいさいから 踏まれるのさ 弱いから折れないのさ 倒れてもその時
もし ひまだったら しばらく空をながめ また起きあがるのさ」
星野先生は小さい者になった、弱い者になった。星野先生は病院の中でキリスト教、プロテスタントの洗礼を受けました。強かった時神様が見えなかった。神様の光、神様のやさしさが見えなかった。自分が小さい者、弱い者となったと知った時、大きい者になったと思います。小さいから、弱いからありがとうが浮かんでくる。空が見える、花が見える。弱い仲間が見えるのだと思います。
あるお母さんの娘さんが自閉症のような病気でした。落ち着かない。人と話さない。お母さんの陰に隠れている。ある日、お母さんが神父さんに言いました。娘が神父さんと話がしたいと言っています。神父さんのやさしさが気に入ったようです。時間をとってくれますか。その神父さんはやさしい心を持っているように見えます。神父さんとその親子は応接室ににこやかに座りました。その子はだんだんと話し始めました。神父さんはその子の話にじっくり耳を傾けます。あぁ、そうか。こんな欠点がある、こんな欠点がある。そう思って、こんな風にしたらよいのではないか。それよりもこっちのほうがいいよ、と語ったのです。女の子の顔が表情が変わりました。やっぱり神父さんもわたしのことが好きではない。わたしを批判する。神父さんはその子にとっての安らぎの場となるどころか、少女をかえって傷つけてしまったのです。その神父さんは小さい者、弱い者が分かっていない。その子が見えていなかったのです。見ていて見えていない。
支えられている、支える者になる。イエスと一緒に神様への道を歩きます。
隣人と出会うことが出来ますように。支える者になることが出来ますように。
小さい者、弱い者であることを感謝します。