イエスはわたしたちに尋ねておられます。 信仰生活を送っていますか。
真剣にイエスを見つめています。わたしたちの中に巣食っている欲求の力をかなぐり捨て、イエスに与えられた道を歩んでいます。
第二朗読・ヘブライ書でイエスの道を走り続けたパウロはわたしたちに厳しく言われます。信仰生活:あなた方はまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
イエスはわたしたちに言われます。わたしが来たのは地上に火を投ずるためである。
あなた方の求める平和は、心静かな生活、物が豊かな、人々が生き生きと働く社会、おおらかな、心のつながりがある社会。人々の争いのない社会。
主イエスは言われます。この平和は祈って与えられるのですか。人が求めている平和は、自分が安心する平和です。自分の世界の平和。自分が静かな生活を送っている。十分に生活が出来る。仲間がいる。争いがない。 それは本当の平和ではないと主は言われるのです。わたしは本当の平和をもたらすために火を投ずる。火によって信仰が燃え上がる、信仰の火を燃やすために火を送られる。そして、火はわたしたちを囲んでいるものを燃やします。イエスはわたしたちの社会的基盤、名誉、常識を燃やします。
自分の中にうごめく欲求、欲望を見つめなさい。あなたの毎日の生活を見つめなさい。あなたを包んでいる力を見つめなさい。自分たちがどんな社会を作っているのか。
イエスは家庭のことを言われています。家庭に腹蔵のない信頼関係がありますか。イエスは姑と嫁の信頼関係をついています。
昭和55年ごろ、イエスの方舟という事件が起こりました。昭和40年にある家族から捜索願いが出されました。20歳になる娘がイエスの方舟という宗教団体に入信したため、家出をしたと言うのです。イエスの方舟とは千石剛賢(せんごくたけよし)が起こしたキリスト教の教団でした。やがて、家出をした信者とともに共同生活をするようになったのです。警察が捜査をしましたが、自主的に入信、家出だということが分かったのです。しかし、家族は納得しなかった。娘たちの入信に怒る親たちは直接、住居兼会堂に押しかけたのです。マスコミがこれに目を留め、例えば、<手記、千石イエスよ、わが娘を返せ><若い女性10人”失踪”東京で53年春から不明 謎の教祖流浪か>というような記事が書かれたのです。
ここに火が燃えたと思うのです。家庭でその女の人たちはどのような生活を送っていたのですか。父、母との関係はどうだったのですか。社会にも苦しんでいる人たちの場がなかったのです。住居兼会堂を引き払ったイエスの方舟は、以後、2年以上に渡り、大阪、神戸、長野などを転々とする「逃亡生活」を余儀なくされたのでした。マスコミはそれに飛びつきました。社会は騒然としました。
この事件は社会に不安をもたらしました。
わたしたちは人と出会います。その人と話をしたり、話を聞いたりします。その人とどんなつながりがありますか。安心のつながりが出来ればいいと思います。出会って良かった、いや、知り合いでよかったと思えばいいと思います。
自由は自分の豊かさの追求ではありません。自分の自由。家庭での自由。社会での自由。生きる自由。役割の責任。
本当の幸せはどこにあるのですか。燃やされたときに分かります。
信仰に火がつきますように。神様への思いに、欲求が燃やされ、物への執着が燃やされますように。