イエスはエルサレムへの道を歩いておられます。いろいろな人に出会い、語り合い、病をいやします。道を歩くことは自然との出会い、人との出会いです。
ある人がイエスに聞きます。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」
主イエスは聞きます。あなたにとって神様って何ですか。神様に何をお願いしてますか。
ここで、わたしたちは神様の恵みについて考えたいと思います。救われたいと思う時天の国の喜びを思ってしまう。それなら、天の国を思いながら、天の国への道を歩いたらいい。 大きな恵みにあふれ、喜びの国が天の国、柔らかい光に包まれ、心に優しさが生まれる。感謝が生まれる。
しかし、今日のヘブライ書は厳しい事を言います。救われるとは:隣人のために働くことが出来ることですというのです。隣人が苦しんでいる。隣人は語ります。不自由な生活です。独りです。一人では生きることが出来ない。
隣人を知ったら、隣人を見たらその人のために働きたくなってしまう。それが救われている心と体ですというのです。それが神様の道を歩んでいること。救われたい、今から、神様の道を歩き始めなさい、み心を行ってゆこうと出発したらいいのです。
天の国で隣人と一緒に宴会の席に着くことが出来たらたらいい。
救われるとは隣人のために働くこと。困難を受け止めること。試練が与えられる。苦しい事、悲しい事が迫る。主は愛するものを鍛える。
ある講話での話を読みました。紹介したいと思います。
神様が地球を訪問したいと思いました。そこで、天使に言います。地球は今どういう状況か調べて来なさい。天使は地球を周り巡ります。見ます、聞きます。詳しく調べます。そして、神様に報告します。
神様、地球は今、ほとんどの人に食べ物がありません。ある国では多くの人が飢えています。神様はこれを聞いて悲しみに襲われ、言います。
わたしはその人たちの空腹のために食べ物の姿となって地球に行こう。
また天使は言います。神様、彼らのほとんどに仕事がありません。
神様は言われます。わたしは職のない人たちのために働こう。
こんなお祈りがあります。
大きなことを成し遂げるために神に力を求めた。
しかし、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことが出来るために健康を求めた。
しかし、より良いことをするようにと病気を授かった。
幸せになるために宝を求めた。
しかし、力を尽くすようにと貧しさを授かった。
人の称賛を得るために成功を求めた。
しかし、神の助けを知るようにと失敗を授かった。
人生を楽しむためにあらゆる物を求めた。
しかし、あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。
求めたことは一つとして与えられなかったけれども、
祈りはすべて聞き届けられた。
知らずに祈っていたにもかかわらず、
心の奥底の願いはすべてかなえられた。
わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。
救いとは何ですか。天の国は何ですか。信仰生活は何ですか。
それ以上に、すべてを包む神様のみ心は何か思い巡らしてゆきたいと思います。