「年間第24主日」(C年)説教
2016年9月11日・加藤 英雄師


 

  徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきます。ファリサイ派の人々や律法学者たちは言います。「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている。」

一緒に食事をする。親しい間柄であるしるしです。特別な仲を示すことがあります。お見合いもそうだなと思います。結婚の披露宴もそうです。葬儀の時の会食。また、同窓会もそうです。お前と俺は一緒に飯を食った仲じゃないか、そんな言い方もあります。考えれば会食には仲間内のつながりがあるように思います。

一緒の食事をする、そのようなしるしをテーブル・バンドというようです。イエスは罪人と食事をする。罪人の仲間なのか。イエスは言われます。罪人、徴税人の中に呼ばれて、罪人、徴税人と一緒に食事をするのではない。わたしと一緒に食事をする、わたしが彼らを呼んでいる。彼らがわたしの世界を味わうのです。イエスと共に味わう喜びの食事、その喜びに一緒に与かるのです。
そしてテーブル・バンド、罪人、徴税人はイエスの喜びを味わい、イエスは罪人の苦しみを担っているのです。

イエス、あなたは悪を裁き、善を勧めないのですか。
そこで、イエスは百匹の羊のたとえを話されました。羊はわたしたち、羊飼いはイエスです。羊は教会に集まる仲間たち。教会で神様と出会う。神様の話を聞く。安心を得る。日常の煩わしさから解放される。
善の道を歩みなさい。善い出来事:優しい言葉を聞く。励まされる。その人といると心が安らぐ。苦しい時、その人と一緒にいたい。慰められる。心が温かくなる。笑顔が生まれる。善い事をしたい。与える者になりたい。
悪い道がある。善いものを壊す。善い人を壊す。悪口を言う。傷つける。欲求の満足を求めている。その人といたくない。離れていたい。
悪い者、あなたも神様から注がれた命で生きている。喜びのうちに生きている。自分を守る生活ではない。自分が幸せの道具となる、人の喜びを喜ぶ、本当の喜びを知るのです。人の幸せを喜ぶことが出来ればいいのです。善い道に帰りましょう。善い喜びを味わいましょう。

神様は言われます。すべてのものは素晴らしい。生きているものはすべて美しい。生きなさい、生き生きと生きなさい。だからわたしはあなたを抱きしめる。

夏の日、草を刈る。薪を割る。子どもがお父さんを手伝っています。一服しよう。お父さんは井戸に吊り桶を落として水を上げます。冷たい水を飲む。お父さんは言います。ジョン、井戸の一番下に一番大切なものがあるぞ。ジョンは井戸に走り、近寄って、井戸の中を見る。あっ、ジョンはびっくりして言う。あれは僕の顔だ。父さんは言う。そうだ、一番大切なものはお前の心の中に生きている。

素晴らしいものがあなたを囲んでいる。あんたは何を見ていますか。何を求めていますか。一番大切なものは何ですか。一番大切なものはあなたのどこにありますか。どこに生きていますか。


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