「待降節第4主日」(A年)説教
2016年12月18日・加藤 英雄師


 

  イエスという名はギリシャ語です。イエスはヘブライ語でヨシュアです。ユダヤの人たちは新しいヨシュアを待っています。モーセはエジプトからイスラエルの人々を導き、脱出させました。しかし、主はモアブの平原、ネボ山でモーセに「お前の先祖に与えようと誓った土地」を見せました。そして、主はモーセを見もとに呼んだのです。余談ですが、モーセは120歳で亡くなりました。先祖に与えようと誓った土地にモーセの後を継ぐヨシュアが入りました。ついにイスラエルは戦いの後、イスラエルに入り、イスラエルで住むのです。イスラエルでの指導者はヨシュアです。
ユダヤの人々は新しいヨシュアを待ち望んでいたと言いました。イスラエル、神様への道を歩くイスラエルを導く者を求めているのです。新しいヨシュア(イエス)を求めていたのです。

第一朗読イザヤ書を読みます。
主はアハズに言われた。あなたはユダヤの王ではないか。あなたは自分を見つめていない。ある、なたの本心が何を求めているかを思い巡らし、心に決めなさい。そして、あなたの思いのうちに「しるし」を求めなさい。深く陰府の方に求めるか、高く天の方に求めるか。

アハズは言います。わたしはしるしを求めない。主を求めるのではなく、しるしを求めるようなことはしない。見えないものを信じることが出来ないから、見えるしるしを求めるのではないですか。それは丁度、モーセが山にいる間に、山麓にいたイスラエルの人々は見える神の像を求めた。
しるしを求めるとは、それと同じではないですか。
見えない神様にどのように賛美をあらわすのか。神様が見えない、どこに向かって祈りの儀式をするのか。しるしを求めることは神様をないがしろにすることではないか。

イザヤは言いました。アハズ王、あなたはダビデ家の指導者、しかし、あなたは心が決まらない。
主であるわたしの思いを受け取らない。あなたは何者か。
主が、御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。

おとめが身ごもって、男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ。

しるしを求める。しるしがわたしたちの心の中に住む。そして、そこからが新しい出発です。しるしを造られた方の思いを見つめるです。しるしによる出来事に神様のみ心を知るのです。

男の子が与えられる。何も出来ない赤ちゃんが神様のしるし。赤ちゃんを育てる。大切に育てるのです。大切とは何か考えてしまいます。身体を育てる、心を育てる。体が丈夫でありますように。それ以上に、愛を知る子となりますように、人の大切さを知るように、与えることを知るように育てるのです。赤ちゃんはマリア様に与えられた。マリア様がイエス様を育てて行くのです。

赤ちゃんは皆に与えられるのです。神様から与えられた命です。体を育てる、心を育てるのです。

イエスはマリアに与えれらた、と同時にヨセフとの問題が生じました。
ヨセフはマリアと婚約していました。ある時、マリアは身ごもっていると聞きました。父さん、母さんはヨセフに言ったのです。あの子は両親の言いつけをよく聞く、よく働く、よくお祈りをする、笑顔のかわいい子だよ。お前はいい子を嫁さんにする。
そんな嬉しい思いがあった。マリアの目は澄んでいる。しかし、ヨセフは正しい人。律法を守り、律法を決して破ろうとしない人。ヨセフは信仰のうちに生きる。マリアは神様のうちに身ごもったという。マリアは自分に与えられた信仰のうちに生きればいい。わたしは純粋なマリアの出来事が理解できない。わたしはマリアを受け入れることが出来ない。
これは、ヨセフにとって思いがけない、大変な出来事です。そんな時、夢に現れて、ヨセフに言います。ダビデの子、ヨセフ。理解できないことに心を悩ませることはない。マリアの出来事は神様の思いである。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
その子の名はヨシュア(イエス)と名付けなさい。ヨシュア:主は救い。

おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと名付けなさい。

わたしたち、主の誕生を待ちわびています。


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