「主の公現」(A年) 説教
2017年1月8日・加藤 英雄 師

 

  神様が人となられた。わたしたちと共に住まわれる。驚くべきことではないですか。神様が赤ちゃんとして来られた。神様である赤ちゃんが生きて行くのですか。人に支えられて成長するのです。わたしたちは与えられた赤ちゃんに、何を与えようかを考えながら生きて行くのだと思います。

赤ちゃんがベツレヘムの小さな家畜小屋お生まれになりました。羊飼いたちがそれを知り、遠く東の方から旅をしてきた博士たちが知り、すべての人に知らされるのです。
公現。ふと思いました。わたしたちが神様を知った。知ったわたしたちの出発の時ではないか。

出発の時が与えられた。
アブラハムが神様から声をかけられた。今のあなたをやめなさい。
やめるとは何ですか。
あなたの思い、言葉、行いをやめるのです。あなたの今生きている生活は父さん、母さん、おじいさん、おばあさん、それ以前、ずっと先祖から作られたものではないですか。人の思いのうちに、社会の中で力のある者が人を支配し、作られて来たものではないですか。今のあなたを捨てて、わたしの示すところへ行きなさい。族長アブラハムは仲間である民を率いて出発しました。長い旅の後、その土地に入ります。そこに住む。そこに住む人たちと共に住む。その人たちの声を聞く。土地に支えられていることを知る。人々に支えられていることを知る。陽の光、水によって生きる。新しい生活を始めるのです。そして、人にとって何が一番大切なのかを思い巡らし始めるのです。

モーセが40万人のイスラエルの民を率いてエジプトから脱出します。40年、荒れ野を歩きなさい。40年の旅です。40年の間、人の喜び、悲しみ、苦悩が湧き上がって来ます。飢えがある、渇きがある。静かな生活を求めることは出来ない。神様が示された道を歩くのです。
エジプトでの生活は人の生活ではない。王の奴隷。命令されて、朝起きてから夜寝るまで、王の求めることのために働いていた。どこにいのちの尊さがあるのか。どこに人を愛する喜びを見つけるのか。命は神様から注がれたものではないか。人として生きなさい。命を大切にしなさい。お互いがお互いを大切にして、一緒に生きるのです。エジプトからの長い長い旅、苦しみを背負って歩いた。その旅がが命への出発の旅ではないでしょういか。また、イスラエルに着いた、そこから新しい生活が始まるのです。

また、今日、第一朗読で示されたバビロン捕囚からの解放を思います。イスラエルがバビロニアに滅ぼされる。そして、指導者たちがバビロニアの首都バビロンに連行される。70年の間、バビロンで生活する。バビロンの生活は都会の生活でした。物が溢れている。しかし、エルサレムを離れて、神殿がない、祈りのない生活は闇ではないか。その日、イスラエルは光を見たのです。バビロンから解放される。エルサレムに戻り、主を賛美することが出来る。神殿を造ろう。新しく出発しよう。
実は70年の都会の生活で、イスラエルの人々は神様を忘れてしまうのです。田舎に帰る、また貧しい生活を送る。エルサレムに帰ろう。70年の生活で求めてきたものは何だったのですか。
神様のもとに集まり、新しい出発をしよう。

今日、公現を祝います。主の公現は、わたしたちすべての人の出発の日です。すべての人、一人一人が神様から命を注がれ、生まれ、今、生活している、それを思い巡らすのです。身体と心に深く思うのです。人には区別がない。民族、肌の色、男、女、頭の良い人、悪い人、体の強い人、弱い人、信仰を持っている人、持っていない人、すべての人が出発するのです。

自然に支えられていることを思いなさい。人に支えられていることを思いなさい。命を思いなさい。一緒の生きていることを思いなさい。

占星術の博士たちが空に大きいな星を見つけた。世界を動かす新しい王の誕生だ。星が示された新しい王に会いに行こう。礼拝しに行こう。東方から、長い長い旅を始めました。そして、新しい王、赤ちゃんに出会った。赤ちゃんを囲む父ヨセフ、母マリアに出会った。尊さを知った。静けさ、温かさを知った。その時が、博士たちの出発の時だったと思います。

ヘロデ王は博士たちの話を聞いた。神様が、ヘロデ王よ、あなたの出発の時ですよと言われているのだと思います。出発する:その土地を離れる、その場を離れる、今の地位を離れること。ヘロデは出発したくなかったのです。

主の公現。光に向かって歩む、主の示された道を歩みなさい。幸いに向かって歩む。
主は言われる。救いを与えよう。じっと耳を澄ませなさい。じっと心の目で見なさい。自分を包むもの、自分を囲むものを知りなさい。隣人が見えます。隣人の叫びが聞こえます。
救われる、平安がある:人に手助け出来る、与える者になる。
自分の時間、自分の微笑み、自分の力、お金を与えられるようになった時、平安が生まれます。
それが救いではないでしょうか。

主の公現。イエスと一緒に歩く、汗をかく、喜びたいと思います。


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